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南風原町はえばるちょう

南風原町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の南風原町

沖縄本島南部のほぼ中央に位置し、那覇市に隣接する町です。周囲を六つの市町に囲まれ、県内で唯一海に面していません。平野と起伏のある土地に農地や住宅地が広がり、国場川が流れています。琉球絣や南風原花織の産地で、かぼちゃやへちまの栽培も行われています。沖縄陸軍病院南風原壕群など、沖縄戦と地域の暮らしの歴史を伝える場所が残り、文化センターがその歩みを紹介しています。

今の南風原町の区域の人口は、2020年の国勢調査で40,440人です。今の区域で数えた1980年の20,679人とくらべると95.6%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は19.6%です。

40,440人人口(2020年)
+95.6%1980年からの増減
10.76km²面積(国土地理院)
3,758人/km²人口密度
19.6%65歳以上の割合
40,4401980199020052020
15歳未満 20.3%15〜64歳 60.1%65歳以上 19.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:琉球絣・南風原花織の織物業と野菜栽培が続き、商工業も発達しています。

特産品・名産

  • 琉球絣町に受け継がれる伝統的な織物
  • 南風原花織立体的な模様が特徴の織物
  • かぼちゃ町の農業を代表する野菜

見どころ・祭り

  • 沖縄陸軍病院南風原壕群沖縄戦時の陸軍病院の壕が残る
  • 御宿井地域の歴史と伝承を伝える井戸
  • 南風原アーチ橋21連のアーチを持つ橋
  • 悲風の丘沖縄戦の犠牲者を追悼する場所

木リュウキュウコクタン花ブーゲンビレア南風原町の木・花

南風原町のなりたち

南風原町(はえばるちょう)は、沖縄県南部地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに南風原村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。

1920年の郡
島尻郡
11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
11km²今の面積

「南風原町」という名前

「南風原」は、王府時代の南風原間切から受け継がれた名前です。1908年(明治41年)に村となってからも南風原の名を使い、1980年(昭和55年)の町制施行で南風原町となりました。読み方は「はえばる」です。間切の時代から続く名ですが、地名そのものが生まれた詳しい経緯は、はっきりしていません。

まちの成り立ち

王府時代の南風原は、真和志や西原とともに首里王府の直轄地に組み込まれていました。1908年(明治41年)4月1日、町村制の施行によって島尻郡南風原村となります。このとき、11の字からなる村の区域が定まりました。

1945年(昭和20年)の沖縄戦では村が焼かれ、住民は戦後も収容所での生活を強いられました。知念半島の収容所などに集められた人々は、1945年12月から現在の与那原町大見武にあった収容所へ移り始めます。1946年夏頃から各集落への帰村が進み、同年には村役場も再編され、生活と地域の再建が始まりました。畜産を中心とする農業や織物の生産が、復興する村を支えました。

那覇市に隣接する位置を生かし、その後は工業や企業の進出が進みました。1972年(昭和47年)5月15日に沖縄が日本へ復帰し、1980年(昭和55年)4月1日、南風原村は町制を施行して南風原町となりました。町になった当時の行政区は16区でした。その後、住宅地の整備などとともに地域の姿が変わり、2024年度には20行政区となっています。農地や織物の生産地に住宅地が重なり、那覇近郊の町として歩んでいます。

年表

  1. 1908年4月1日明治41年町村制の施行により、南風原間切が島尻郡南風原村となった。種類:町村制 出典:www.pref.okinawa.jp
  2. 1946年南風原村役場が再編され、村の復興が始まった。種類:その他 出典:www.town.haebaru.lg.jp
  3. 1972年5月15日昭和47年沖縄が日本に復帰し、南風原村も日本の施政下に戻った。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp
  4. 1980年4月1日昭和55年島尻郡南風原村が町制を施行し、南風原町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.okinawa.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

南風原村→南風原町1908〜今

参考にした資料