今の豊見城市
沖縄本島南部、那覇市の南に接するまちです。北側には漫湖があり、西は東シナ海に面しています。内陸には丘陵や農地、住宅地が広がり、海側の豊崎には商業施設や海浜公園が集まっています。瀬長島は那覇空港に近い海辺の行楽地です。漫湖の水辺ではマングローブや渡り鳥の姿が見られ、市街地と干潟の自然が隣り合っています。マンゴーやトマト、ウージ染めなどの産物でも知られます。
今の豊見城市の区域の人口は、2020年の国勢調査で64,612人です。今の区域で数えた1980年の33,075人とくらべると95.3%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は19.9%です。
主な産業:那覇近郊の住宅地と商業・観光地が広がり、マンゴーやトマトの栽培も盛んです。
特産品・名産
- マンゴー温暖な気候を生かして育てる果実
- ちゅらトマト豊見城の名産として知られるトマト
- ウージ染め豊見城の名産として知られる染め物
見どころ・祭り
- 瀬長島空港に近い海辺の島
- 豊崎美らSUNビーチ豊崎海浜公園にある海辺
- 漫湖水鳥・湿地センター漫湖の湿地や生き物を紹介する施設
- 旧海軍司令部壕沖縄戦の海軍司令部跡を伝える壕
木リュウキュウコクタン花ブーゲンビレア鳥クロツラヘラサギ豊見城市の木・花・鳥
豊見城市のなりたち
豊見城市(とみぐすくし)は、沖縄県南部地方の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに豊見城村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい市です。
- 1920年の郡
- 島尻郡
「豊見城市」という名前
「豊見城」は、漫湖を見下ろす丘陵に築かれたグスクの名に由来するといわれます。汪応祖が築いた城を、名高いさまを表す「とよむ」にちなみ「とよみ城」と呼んだことが始まりとされます。その呼び名が時代とともに変化し、「とみぐすく」になったと伝えられます。城の名は豊見城間切、豊見城村を経て、今の市名へと受け継がれています。
まちの成り立ち
豊見城は、南山の拠点の一つとしてグスクが築かれた土地です。王国時代には豊見城間切が置かれ、今の那覇市や糸満市、八重瀬町の一部も含む広い範囲を治めていました。その後、間切の区域が変わり、1908年(明治41年)4月1日の沖縄県及島嶼町村制により、島尻郡豊見城村となりました。
明治・大正期にはサトウキビなどを育てる農村でした。沖縄戦では日本海軍の司令部が置かれた地域も戦場となり、集落や真玉橋、グスクなどが大きな被害を受けました。戦後は農業の復興が進み、那覇の近郊として宅地化も始まります。1972年(昭和47年)5月15日の日本復帰後は、那覇都市圏の広がりに伴って住宅団地の建設や宅地開発が進みました。
2002年(平成14年)4月1日、豊見城村が単独で市制を施行して豊見城市となりました。村から直接市へ移ったことで、豊見城の名がそのまま市名になっています。西側の豊崎には海浜公園や商業施設が整い、瀬長島も観光で訪れる人を集めています。一方、内陸の農地ではマンゴーやトマトが栽培され、住宅地や商業地と農業が共存するまちへと変わってきました。
年表
- 1908年4月1日明治41年沖縄県及島嶼町村制により、島尻郡豊見城村となった。種類:町村制 出典:www.pref.okinawa.jp
- 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰により、豊見城村が沖縄県島尻郡の村となった。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp
- 2002年4月1日平成14年島尻郡豊見城村が市制を施行し、豊見城市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.okinawa.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.pref.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/016/816/r8.1.1shich
- www.pref.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/039/562/r08_2-2.pdf
- www.city.tomigusuku.lg.jp/material/files/group/6/4th_tomigusuku_sougoukeikaku.pd
- www.city.tomigusuku.lg.jp/gyoseijoho/tomigusukushinogaiyo/3/3631.html
- www.archives.pref.okinawa.jp/event_information/past_exhibitions/934