今の燕市
新潟県のほぼ中央、越後平野の真ん中にある市です。海に面さず、山は国上山があるだけで、ほかは平らな土地が広がります。信濃川・大河津分水路・中ノ口川などが流れ、田んぼの外側に工業団地が並びます。吉田・燕・分水の三つの市街地があります。ステンレスの洋食器や金属のハウスウエアの産地で、「職人の町」と呼ばれてきました。
今の燕市の区域の人口は、2020年の国勢調査で77,201人です。今の区域で数えた1980年の82,984人とくらべると7.0%減り、人口は2000年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は31.4%です。
主な産業:洋食器やハウスウエアなどの金属加工業を中心に、米づくりや養豚も営まれています。
特産品・名産
- 金属洋食器燕で多くつくられるステンレスのカトラリー
- 燕鎚起銅器銅板を打ち起こす器。伝統的工芸品
- 越後もちぶた市内で育てられ出荷される豚肉
見どころ・祭り
- 国上山・五合庵国上寺や良寛が住んだ五合庵がある
- 大河津分水路の桜分水路沿いの桜並木
- 燕市産業史料館金属加工の歴史を伝える施設
- 今井家住宅吉田地区に残る旧今井銀行などの建物
木サクラ花キク・サルビア・バーベナ・テネラ燕市の木・花
燕市のなりたち
燕市(つばめし)は、新潟県中越地方の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、15の町村がありました。栗林村・太田村・松長村・小中川村・小池村・米納津村・粟生津村・国上村・島上村・地蔵堂町・大島村・大河津村・和納村・吉田村・燕町です。これらの町村が、7回の合併や編入を経て、今の燕市になりました。
今の名前「燕市」は、1920年にあった燕町の名前を受け継いでいます。ほかの14の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の燕町が約6km²だったのに対し、今の燕市は約113km²と、およそ18.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は三島郡・南蒲原郡・西蒲原郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧粟生津村の区域には粟生津駅(越後線)があります。旧地蔵堂町の区域には地蔵堂駅(越後線)があります。旧吉田村の区域には吉田駅(越後線)があります。
「燕市」という名前
「燕」は、古くは「津波目」と書かれたと考えられています。「津」は港、「目」は中心地を表し、信濃川の多くの船着場の中で最も栄えた所という意味だったとされます。川上から流れてきた祠にツバメが群れていたという言い伝えもあります。「燕」の字が使われるようになった時期やわけは、はっきりしていません。
まちの成り立ち
燕は信濃川の水運の中継地として栄えた町です。17世紀の初め、水害に苦しむ農民の副業として和釘づくりが勧められ、これが燕の鍛冶の始まりとされます。その後、やすりや銅器などへと広がり、金属加工の町として育ちました。
1889年(明治22年)の町村制で西蒲原郡に燕町などが生まれました。1924年(大正13年)に吉田村が町制を施行して吉田町となり、1927年には太田村が燕町に編入されました。1954年(昭和29年)3月31日、燕町・松長村・小中川村・小池村が合わさって燕市が発足しました。同じ年の11月3日には、吉田町・米納津村・粟生津村が合わさって新しい吉田町が、地蔵堂町・国上村・島上村が合わさって分水町が生まれています。1957年には三島郡大河津村の一部が分水町に加わりました。
2006年(平成18年)3月20日、燕市・吉田町・分水町が合併し、今の燕市が発足しました。市内には吉田・燕・分水の三つの市街地があり、その周りに水田と工業団地が広がります。ステンレスの洋食器の産地として知られ、隣の三条市とともに金属加工の産業が集まる地域です。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、西蒲原郡に燕町・松長村・加奈居村・小中川郷村・川前村・三方崎村・小池村・大関村・東太田村・杣木村・小高村・太花野村・吉田村・米納津村・粟生津村・地蔵堂町・国上村・中島村・四箇村・笈砂村・横田村・熊森村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、三島郡に善高村・五千石村・下桐原村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1901年11月1日明治34年西蒲原郡で、松長村と加奈居村が合併して松長村が、川前村・小中川郷村・三方崎村で小中川村が、小池村と大関村で小池村が、東太田村・杣木村・小高村と太花野村の一部で太田村が、吉田村と太花野村の残りなどで吉田村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1901年11月1日明治34年西蒲原郡で、国上村・中島村・四箇村が合併して国上村が、笈砂村・横田村・熊森村で島上村が、米納津村と佐渡山村の一部で米納津村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1901年11月1日明治34年三島郡で、善高村・五千石村・下桐原村と本与板村の一部が合併して大河津村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1924年1月1日大正13年西蒲原郡吉田村が町制を施行して吉田町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1927年10月1日昭和2年西蒲原郡太田村が燕町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1954年3月31日昭和29年西蒲原郡の燕町・松長村・小中川村・小池村が合併して燕市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1954年7月7日昭和29年燕市の一部(真木・羽黒・姥島)が分かれ、西蒲原郡小吉村・道上村と合併して中之口村となった。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1954年11月3日昭和29年西蒲原郡の吉田町・米納津村・粟生津村が合併して改めて吉田町が、地蔵堂町・国上村・島上村が合併して分水町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 1957年7月5日昭和32年三島郡大河津村の一部(野中才・五千石・大川津)が分水町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.niigata.lg.jp
- 2006年3月20日平成18年燕市と西蒲原郡の吉田町・分水町が合併し、改めて燕市が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.niigata.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。