今の壱岐市
今の壱岐市の区域の人口は、2020年の国勢調査で24,948人です。今の区域で数えた1980年の41,035人とくらべると39.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.7%です。
壱岐市のなりたち
壱岐市(いきし)は、長崎県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、12の町村がありました。鯨伏村・沼津村・柳田村・渡良村・志原村・武生水村・初山村・那賀村・田河村・箱崎村・香椎村・石田村です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の壱岐市になりました。
明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1925年(大正14年)3月10日に武生水村が町になり、武生水町となりました(町制施行)。1935年(昭和10年)4月1日に香椎村が町になり、勝本町となりました(町制施行)。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1947年(昭和22年)11月3日に田河村が町になり、田河町となりました(町制施行)。1955年(昭和30年)2月10日に鯨伏村が、勝本町と一つになりました。1955年(昭和30年)2月11日に沼津村・柳田村・渡良村・志原村・武生水町・初山村が合わさって、郷ノ浦町が生まれました。1955年(昭和30年)4月1日に那賀村・田河町が合わさって、芦辺町が生まれました。1956年(昭和31年)9月30日に箱崎村が、芦辺町と一つになりました。この時期だけで5回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
その後、1970年(昭和45年)8月1日に石田村が町になり、石田町となりました(町制施行)。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2004年(平成16年)3月1日に勝本町・石田町・郷ノ浦町・芦辺町が合わさって、壱岐市が生まれました。
今の名前「壱岐市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの12の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の那賀村が約17km²だったのに対し、今の壱岐市は約135km²と、およそ8.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は壱岐郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、壱岐郡は2004年(平成16年)3月1日に廃止されました。
年表
- 1925年3月10日大正14年武生水村が町になり、武生水町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1935年4月1日昭和10年香椎村が町になり、勝本町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1947年11月3日昭和22年田河村が町になり、田河町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1955年2月10日昭和30年鯨伏村が、勝本町と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1955年2月11日昭和30年沼津村・柳田村・渡良村・志原村・武生水町・初山村が合わさって、郷ノ浦町が生まれた出典:同じ合併に加わった町村の日付から・国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1955年4月1日昭和30年那賀村・田河町が合わさって、芦辺町が生まれた出典:同じ合併に加わった町村の日付から・国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1956年9月30日昭和31年箱崎村が、芦辺町と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1970年8月1日昭和45年石田村が町になり、石田町となった(町制施行)e-Stat「石田村(42424)が石田町(42424)に町制施行」
- 2004年3月1日平成16年勝本町・石田町・郷ノ浦町・芦辺町が合わさって、壱岐市が生まれたe-Stat「郷ノ浦町(42421)、勝本町(42422)、芦辺町(42423)、石田町(42424)が合併し、壱岐市(42210)を新設 壱岐郡(42420)の廃止」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。