今の対馬市
今の対馬市の区域の人口は、2020年の国勢調査で28,502人です。今の区域で数えた1980年の50,810人とくらべると43.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.6%です。
対馬市のなりたち
対馬市(つしまし)は、長崎県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、14の町村がありました。竹敷村・鶏知村・豊崎村・琴村・船越村・奴加岳村・仁位村・佐須奈村・仁田村・佐須村・久田村・豆酘村・峰村・厳原町です。これらの町村が、8回の合併や編入を経て、今の対馬市になりました。
明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1932年(昭和7年)4月1日に竹敷村が合わさって、け知町が生まれました。1940年(昭和15年)10月17日に鶏知村が、け知町と一つになりました。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1948年(昭和23年)12月1日に豊崎村が町になり、豊崎町となりました(町制施行)。1955年(昭和30年)1月1日に豊崎町・琴村が合わさって、上対馬町が生まれました。1955年(昭和30年)3月1日に船越村・け知町が合わさって、美津島町が生まれました。1955年(昭和30年)3月20日に奴加岳村・仁位村が合わさって、豊玉村が生まれました。1955年(昭和30年)4月15日に佐須奈村・仁田村が合わさって、上県町が生まれました。1956年(昭和31年)9月30日に佐須村・久田村・豆酘村が、厳原町と一つになりました。この時期だけで6回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
その後、1975年(昭和50年)4月1日に豊玉村が町になり、豊玉町となりました(町制施行)。1976年(昭和51年)4月1日に峰村が町になり、峰町となりました(町制施行)。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2004年(平成16年)3月1日に峰町・厳原町・上県町・美津島町・上対馬町・豊玉町が合わさって、対馬市が生まれました。
今の名前「対馬市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの14の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の佐須村が約83km²だったのに対し、今の対馬市は約698km²と、およそ8.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は上県郡・下県郡に属していました。
年表
- 1932年4月1日昭和7年竹敷村が合わさって、け知町が生まれた出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1940年10月17日昭和15年鶏知村が、け知町と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1948年12月1日昭和23年豊崎村が町になり、豊崎町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1955年1月1日昭和30年豊崎町・琴村が合わさって、上対馬町が生まれた出典:同じ合併に加わった町村の日付から・国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1955年3月1日昭和30年船越村・け知町が合わさって、美津島町が生まれた出典:同じ合併に加わった町村の日付から・国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1955年3月20日昭和30年奴加岳村・仁位村が合わさって、豊玉村が生まれた出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1955年4月15日昭和30年佐須奈村・仁田村が合わさって、上県町が生まれた出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1956年9月30日昭和31年佐須村・久田村・豆酘村が、厳原町と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1975年4月1日昭和50年豊玉村が町になり、豊玉町となった(町制施行)e-Stat「豊玉村(42443)が豊玉町(42443)に町制施行」
- 1976年4月1日昭和51年峰村が町になり、峰町となった(町制施行)e-Stat「峰村(42444)が峰町(42444)に町制施行」
- 2004年3月1日平成16年峰町・厳原町・上県町・美津島町・上対馬町・豊玉町が合わさって、対馬市が生まれたe-Stat「厳原町(42441)、美津島町(42442)、豊玉町(42443)、峰町(42444)、上県町(42445)、上対馬町(42446)が合併し、対馬市(42209)を新設 対馬支庁(42440)の廃止」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。