今の平戸市
今の平戸市の区域の人口は、2020年の国勢調査で29,365人です。今の区域で数えた1980年の50,849人とくらべると42.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.5%です。
平戸市のなりたち
平戸市(ひらどし)は、長崎県の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、12の町村がありました。平戸町・南田平村・中野村・獅子村・紐差村・中津良村・志々伎村・津吉村・大島村・生月村・田平村・平戸村です。これらの町村が、4回の合併や編入を経て、今の平戸市になりました。
明治の町村制(1889年)のあと、戦前までに、この区域では、1925年(大正14年)4月1日に平戸村が町になり、平戸町となりました(町制施行)。1935年ごろに平戸町が、平戸市と一つになりました。1940年(昭和15年)4月17日に生月村が町になり、生月町となりました(町制施行)。
1953年の町村合併促進法をきっかけに、全国で町村の合併が一気に進みました(昭和の大合併)。この区域では、1953年ごろに平戸町が市になり、平戸市となりました(市制施行)。1954年(昭和29年)4月1日に南田平村が、田平村と一つになり、田平町となりました。1954年(昭和29年)4月1日に田平村が町になり、田平町となりました(町制施行)。1955年(昭和30年)1月1日に中野村・獅子村・紐差村・中津良村・志々伎村・津吉村が、平戸市と一つになりました。この時期だけで4回の変化があり、町村の数は大きく減りました。
1999年からは、国の後押しで全国の市町村の合併が進みました(平成の大合併)。この区域では、2005年(平成17年)10月1日に大島村・生月町・田平町が合わさって、平戸市が生まれました。
今の名前「平戸市」は、1920年にあった平戸村の名前を受け継いでいます。ほかの11の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の平戸村が約20km²だったのに対し、今の平戸市は約228km²と、およそ11.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北松浦郡に属していました。
年表
- 1925年4月1日大正14年平戸村が町になり、平戸町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1935年ごろ1920〜1950年のあいだ平戸町が、平戸市と一つになった
- 1940年4月17日昭和15年生月村が町になり、生月町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1953年ごろ1950〜1955年のあいだ平戸町が市になり、平戸市となった(市制施行)
- 1954年4月1日昭和29年南田平村が、田平村と一つになり、田平町となった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1954年4月1日昭和29年田平村が町になり、田平町となった(町制施行)出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 1955年1月1日昭和30年中野村・獅子村・紐差村・中津良村・志々伎村・津吉村が、平戸市と一つになった出典:国土数値情報「行政区域」1920年版の廃止年月日
- 2005年10月1日平成17年大島村・生月町・田平町が合わさって、平戸市が生まれたe-Stat「平戸市(42207)、大島村(42381)、生月町(42382)、田平町(42385)が合併し、平戸市を新設」
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。