今の寒川町
湘南地域の内陸部、相模川の左岸にある町です。東側には相模野台地の端があり、ほかの部分には相模川、小出川、目久尻川がつくった低地が広がります。おおむね平坦で、台地には住宅や畑、低地には水田が見られます。戦後は宅地化が進み、田端地区には工業団地が造られました。JR相模線が町内を通り、宮山駅の近くには古くから信仰を集める寒川神社があります。
今の寒川町の区域の人口は、2020年の国勢調査で48,348人です。今の区域で数えた1980年の36,417人とくらべると32.8%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は27.7%です。
主な産業:製造業と商業、梨やメロン、花の栽培が営まれています。
特産品・名産
- 梨町の特産品として紹介される果実
- マスクメロン大正期から栽培される特産品
- スイートピー町の特産品として紹介される花
見どころ・祭り
- 寒川神社宮山駅を最寄りとする神社
- 寒川文書館町の記録を伝える施設
- 一之宮公園・一之宮緑道旧相模線の廃線跡に沿う公園と緑道
木もくせい花すいせん鳥ダイサギ寒川町の木・花・鳥
寒川町のなりたち
寒川町(さむかわまち)は、神奈川県湘南地域の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに寒川村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は高座郡に属していました。
「寒川町」という名前
「寒川」は、町村制よりもずっと古い地名です。町の公式年表は、平安時代の『和名抄』に初めてこの名が現れるとしています。寒川神社も古くからこの地にあり、846年に朝廷から位を授けられた記録があります。1889年に11村をまとめた寒川村が発足し、1940年の町制でも名を引き継ぎました。地名そのものの語源ははっきりしていません。寒川神社の周囲や川沿いには、古くから集落が形成されてきました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日の町村制施行で、相模川左岸にあった11村が合併し、高座郡寒川村が発足しました。現在の町の基礎はこのときにまとまっています。村役場は宮山に置かれ、1940年(昭和15年)11月1日に町制を施行して寒川町となりました。ほかの町村との新たな合併によって町ができたのではなく、明治の村がそのまま町へ移ったものです。
交通の面では、1921年(大正10年)に相模鉄道の茅ヶ崎―寒川間が開通しました。1926年には寒川―倉見間がつながり、1931年には宮山駅が開業しています。1944年(昭和19年)に鉄道は国に買収され、相模線となりました。鉄道は相模川沿いの村と茅ヶ崎方面を結び、町の暮らしを支える路線となっています。
1936年(昭和11年)には寒川浄水場から県営水道の送水が始まりました。戦後は低地の宅地化が進み、1964年(昭和39年)には田端地区の工業団地が完成しました。村の時代から続く農地と、住宅や工場のある地域が町内に共存しています。昭和・平成の大合併でも単独の町として歩み、高座郡の名を今に伝えています。寒川神社のある宮山など、旧来の集落の名前も町内に残っています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、高座郡一之宮村・中瀬村・岡田村・小谷村・大蔵村・小動村・宮山村・倉見村・田端村・下大曲村・大曲村が合併し、寒川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1940年11月1日昭和15年高座郡寒川村が町制を施行し、寒川町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.kanagawa.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。