今の大井町
足柄平野と丘陵が接する、神奈川県西部の町です。西側には酒匂川が流れ、川沿いに水田が広がります。丘陵ではみかんや野菜などが栽培され、平野では稲作のほか梨やイチジクも作られています。御殿場線や幹線道路が通り、商業施設や工場、企業の研究施設なども立地します。丘陵からは足柄平野や周囲の山々を望め、田園の暮らしと産業が並ぶ町です。
今の大井町の区域の人口は、2020年の国勢調査で17,129人です。今の区域で数えた1980年の12,832人とくらべると33.5%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は29.2%です。
主な産業:平野の稲作や果樹栽培、製薬や自動車関連などの製造業が営まれています。
特産品・名産
- 梨酒匂川沿いの平坦地で栽培される
- イチジク稲作とともに平坦地で栽培される
- ひょうたん漬け町のひょうたんを使った加工品
見どころ・祭り
- 四季の里農業体験や地場産品販売の施設
- ビオトピア食や運動などの体験施設
- ひょうたん池富士山を望むひょうたん形の池
木キンモクセイ花スイセン鳥メジロ大井町の木・花・鳥
大井町のなりたち
大井町(おおいまち)は、神奈川県県西地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。上中村・山田村・金田村・曾我村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の大井町になりました。
今の名前「大井町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の曾我村が約7km²だったのに対し、今の大井町は約14km²と、およそ2.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は足柄上郡に属していました。
「大井町」という名前
大井町の名は、鎌倉時代からこの一帯が「大井の庄」と呼ばれていたことにちなみます。『吾妻鏡』や『新編相模風土記稿』にも、この呼び名が記されています。1956年(昭和31年)に金田村・相和村と曽我村の一部が合併して町が生まれた際、地域の歴史に親しみのある名前として、大井町が採用されました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制で、現在の大井町につながる地域には金田村・山田村・上中村が置かれました。上大井と西大井は、曽我村の区域になりました。今の町域は、当初から一つの村だったわけではなく、平野の村と丘陵の村に分かれていたのです。
1946年(昭和21年)、山田村と上中村が合併して相和村となりました。1951年(昭和26年)には、相和村の栃窪が分かれました。村全体が移ったわけではなく、一つの地区が分離した変化です。昭和の大合併では、金田村と相和村に、曽我村の上大井・西大井を加えて新しい町をつくることになりました。
1956年(昭和31年)4月1日、これらの区域の新設合併により、大井町が発足しました。曽我村のすべてが大井町に入ったのではなく、合併したのは二つの地区です。町名には、地域で親しまれていた大井の庄の名が採られました。
現在の町には酒匂川沿いの水田と、みかんなどを育てる丘陵が広がります。金田と相和という旧村の名は学校名にも伝わり、平野と丘陵が一つの町になった成り立ちを知る手掛かりになっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、足柄上郡金田村・山田村・上中村・曽我村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1946年11月3日昭和21年足柄上郡山田村・上中村が合併し、相和村が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1951年6月20日昭和26年足柄上郡相和村の一部(栃窪)が中郡西秦野村に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.kanagawa.jp
- 1956年4月1日昭和31年足柄上郡金田村・相和村と曽我村の一部(上大井・西大井)が合併し、大井町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.kanagawa.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。