今の守谷市
茨城県南西部、利根川・鬼怒川・小貝川に囲まれたまちです。台地には住宅地が広がり、川沿いの低地には農地や緑地が残ります。守谷駅でつくばエクスプレスと関東鉄道常総線が交わり、東京方面や県内への交通を支えています。駅周辺の市街地と、旧村から続く農村や緑地が近接しています。都市としての暮らしと河川の自然が同じ市域にあり、川に囲まれた地形がまちの景観を形作っています。
今の守谷市の区域の人口は、2020年の国勢調査で68,421人です。今の区域で数えた1980年の17,585人とくらべると289.1%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は23.3%です。
主な産業:食品製造業が立地し、鉄道沿線の住宅地と農業も地域を支えています。
特産品・名産
- のむヨーグルトゆっくり熟成させる地域の乳製品
- ビール市内に大きな製造工場が立地する
- 守谷産の野菜市内の生産者が直売所に届ける旬の味
見どころ・祭り
- 四季の里公園アヤメやハナショウブが咲く公園
- 守谷野鳥のみち林や湿地を歩ける自然の散策路
- 八坂神社祇園祭山車の動きが特色の伝統祭礼
木マツ花ヤマユリ鳥コジュケイ守谷市の木・花・鳥
守谷市のなりたち
守谷市(もりやし)は、茨城県県南地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。高井村・大井沢村・大野村・高野村・守谷町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の守谷市になりました。
今の名前「守谷市」は、1920年にあった守谷町の名前を受け継いでいます。ほかの4の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の守谷町が約10km²だったのに対し、今の守谷市は約36km²と、およそ3.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北相馬郡に属していました。
「守谷市」という名前
守谷という名前には、いくつかの説があります。日本武尊が一面の森を見て「森なる哉」と述べたという伝承があります。また、平将門が城を築いた際、丘と谷に囲まれた守りやすい地形だったことに結び付ける説もあります。いずれも伝承として伝えられる由来です。守谷町の名前は、昭和の新設合併と2002年の市制施行を経て市名に残りました。
まちの成り立ち
守谷は、利根川・鬼怒川・小貝川に囲まれた地域の町村がまとまったまちです。1889年には守谷町と高野村・大野村・大井沢村・高井村が発足しました。守谷町は旧来の中心地を引き継ぎ、その周辺に農村が広がる形でした。守谷町の中心部に高野・大野・大井沢の各村の区域が加わり、周辺の農村を含む町へと広がりました。
1955年2月には高井村が分かれ、上高井・下高井・貝塚・市之代は取手町の新設合併に加わりました。その残りが守谷町に編入されています。翌月の3月には守谷町・高野村・大野村・大井沢村が新設合併し、新たな守谷町が生まれました。旧守谷町も合併の当事者の一つでした。分割された高井村の区域も含めて、昭和の合併後の町ができました。
守谷町は2002年2月2日に市制を施行し、守谷市となりました。守谷市は、昭和にまとまった町が市制を施行して発足しました。市街地や住宅地が広がる現在も、高野、大野、大井沢などの地域には、旧村を単位にした歴史が続いています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、守谷町・大井沢村・大野村・高井村・高野村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年2月15日昭和30年高井村の一部(取手町の新設合併に加わった区域以外の区域)が守谷町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 1955年3月1日昭和30年守谷町・高野村・大野村・大井沢村が合併し、新たな守谷町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp
- 2002年2月2日平成14年守谷町が市制を施行し、守谷市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.ibaraki.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。