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神栖市かみすし

1920年には5の町村だった区域が、3回の合併・編入を経て、今の神栖市になりました。

5町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の神栖市

利根川河口や鹿島灘に近い地域を含む市です。軽野村と息栖村の合併で神栖村となり、神の池と息栖神社にちなむ名が、町・市へ引き継がれました。鹿島開発による工業化の歴史を持ち、波崎町の編入と市制で現在の市となっています。市の花はセンリョウ、木はマキ、鳥はウグイスです。若松村が神栖村と波崎町へ分割された経緯も、現在の市域につながる前身の歩みとして含まれます。

今の神栖市の区域の人口は、2020年の国勢調査で95,454人です。今の区域で数えた1980年の67,364人とくらべると41.7%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は23.4%です。

95,454人人口(2020年)
+41.7%1980年からの増減
147.2km²面積(概算)
648人/km²人口密度
23.4%65歳以上の割合
95,4541980199020052020
15歳未満 13.3%15〜64歳 63.3%65歳以上 23.4%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:鹿島港周辺の製造業と、ピーマン栽培や波崎漁港の漁業が盛んです。

特産品・名産

  • ピーマン温暖な気候を生かして栽培する
  • センリョウ正月の飾り花として出荷される
  • アジ・サバ波崎漁港で水揚げされる海の幸

見どころ・祭り

  • 息栖神社東国三社の一つとして知られる
  • 神栖市1000人画廊海辺の堤防を彩る壁画群
  • 歴史民俗資料館市域の歴史や暮らしを伝える

木マキ花センリョウ鳥ウグイス神栖市の木・花・鳥

神栖市のなりたち

神栖市(かみすし)は、茨城県鹿行地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。矢田部村・中島村・軽野村・若松村・東下村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の神栖市になりました。

今の名前「神栖市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の中島村が約47km²だったのに対し、今の神栖市は約147km²と、およそ3.2倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は鹿島郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、鹿島郡は2005年(平成17年)10月11日に廃止されました。

51920年の町村の数
3回合併・編入の回数
147km²今の面積
2005年いちばん新しい合併

「神栖市」という名前

神栖の名は、1955年に軽野村と息栖村が合併したとき、新しい村の名称として選ばれました。市の公式説明は、神の池と息栖神社にちなんで「神栖村」と決めたとしています。旧二村のどちらかの名をそのまま広げたものではなく、地域にゆかりのある池と神社の名を結び付けた名称でした。1970年の町制施行では神栖町となり、2005年には波崎町を編入した後に市制を施行しました。村から町、市へと移る際にも、神栖の名は変わらず受け継がれています。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)の町村制で、現在の市域には鹿島郡の中島・軽野・若松・矢田部・東下の各村が発足しました。中島村は後に息栖村と呼ばれ、東下村は1928年に町制と改称を経て波崎町となります。利根川の河口や海に近い地域の村々が、後の神栖と波崎の基盤になりました。

1955年2月15日、矢田部村が波崎町に編入されました。同年3月1日には軽野村と息栖村が新設合併し、神栖村となります。翌1956年2月15日、若松村は分割され、太田新田の一部が神栖村へ、残る区域が波崎町へ編入されました。

昭和三十年代後半からの鹿島開発は、神栖・波崎を含む海辺の地域に工業化と生活基盤の変化をもたらしました。神栖村は1970年1月1日に町制を施行し、神栖町となります。神栖町と波崎町は、工業地帯を含む隣接した自治体として、それぞれ歩みを続けました。

2005年8月1日、波崎町を神栖町に編入し、同日に市制を施行して神栖市となりました。神栖町の区域に旧波崎町の区域が加わり、神栖町を引き継ぐ神栖市が生まれました。軽野と息栖から生まれた神栖に、利根川河口の波崎が加わり、鹿島港周辺から太平洋沿岸までを含む市域がまとまりました。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年鹿島郡に中島村・軽野村・若松村・矢田部村・東下村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1925年中島村が息栖村に改称された。種類:改称 出典:Wikipedia
  3. 1928年1月1日昭和3年東下村が町制を施行した。種類:町制施行 出典:www.pref.ibaraki.jp
  4. 1928年1月1日昭和3年東下村が波崎町に改称された。種類:改称 出典:www.pref.ibaraki.jp
  5. 1955年2月15日昭和30年矢田部村が波崎町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.ibaraki.jp
  6. 1955年3月1日昭和30年軽野村と息栖村が合併し、神栖村となった。種類:新設合併 出典:www.pref.ibaraki.jp
  7. 1956年2月15日昭和31年若松村が分割され、太田新田の一部は神栖村、残部は波崎町に編入された。種類:分割 出典:www.pref.ibaraki.jp
  8. 1970年1月1日昭和45年神栖村が町制を施行し、神栖町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.ibaraki.jp
  9. 2005年8月1日平成17年波崎町が神栖町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.ibaraki.jp
  10. 2005年8月1日平成17年神栖町が市制を施行し、神栖市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.ibaraki.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

神栖村→神栖町→神栖市1955〜今
東下村→波崎町1889〜2005
若松村1889〜1956
矢田部村1889〜1955
中島村→息栖村1889〜1955
軽野村1889〜1955

参考にした資料