今の倶知安町
後志総合振興局の所在地で、南に羊蹄山、西にニセコ連峰がそびえる小盆地にあります。尻別川が流れ、羊蹄山の周辺は支笏洞爺国立公園、ニセコアンヌプリの周辺はニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定されています。1912年に羊蹄山でスキー登山が試みられた記録があり、今はニセコ連峰の斜面にスキー場が集まる、冬の観光のまちです。ジャガイモの産地でもあります。
今の倶知安町の区域の人口は、2020年の国勢調査で15,129人です。今の区域で数えた1980年の18,893人とくらべると19.9%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は25.3%です。
主な産業:ジャガイモなどの農業と、スキー場を中心にした観光業が盛んです。
特産品・名産
- ジャガイモ8月にくっちゃんじゃが祭りが開かれる
- 豪雪うどん町の名産の一つ
- ニセコ羊蹄コロッケ定食町の名産の一つ
見どころ・祭り
- ニセコ東急 グラン・ヒラフニセコ連峰のふもとのスキーリゾート
- ニセコHANAZONOリゾート花園地区のスキーリゾート
- 倶知安風土館2002年に開館した町の資料館
- 小川原脩記念美術館1999年に開館した美術館
木イタヤカエデ花キバナシャクナゲ倶知安町の木・花
倶知安町のなりたち
倶知安町(くっちゃんちょう)は、北海道後志地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに倶知安町として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は虻田郡に属していました。
「倶知安町」という名前
「倶知安」は、アイヌ語の「クッシャニ」が変化した名です。クッシャニは尻別川の支流、倶登山川の古い呼び名で、「クッ・シャン・イ」(くだのようなところを流れ出るところ)の意とされています。由来には諸説あるとされ、「倶知安」の字を当てたのは、当時の北海道庁参事官の白仁武だと伝わっています。
まちの成り立ち
1892年(明治25年)、余市郡仁木村の仁木武吉が青年18名を連れて移り、開墾したのがこの地の開拓の始まりです。1893年(明治26年)12月16日に倶知安村が設置され、はじめは虻田村の戸長役場の所管でした。1896年(明治29年)4月25日に虻田村戸長役場から分かれ、倶知安村戸長役場が置かれています。1906年(明治39年)4月1日に二級町村制が施行され、倶知安村となりました。1910年(明治43年)4月には東倶知安村を分村しました。東倶知安村は今の京極町です。この年には狩太村とも境界を変更し、字ニセコアンを分けています。1915年(大正4年)4月に一級町村制へ移り、1916年(大正5年)4月1日に町制を施行して倶知安町になりました。山梨県で大水害があった1907年(明治40年)からは、山梨県からの移住も進んでいます。町制施行のあと、ほかの市町村と合併したことはなく、今は後志総合振興局の所在地です。
年表
- 1893年12月16日明治26年虻田郡に倶知安村が置かれた。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1895年倶知安村が虻田村戸長役場の受け持ちとなった。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1896年4月25日明治29年虻田村戸長役場から分かれて、倶知安村戸長役場が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1906年4月1日明治39年倶知安村に二級町村制が施行された。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1910年4月明治43年倶知安村の一部が分かれ、東倶知安村(今の京極町)が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1910年4月5日明治43年狩太村との境界変更で、字ニセコアンが狩太村に移った。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1915年4月大正4年倶知安村が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1916年4月1日大正5年倶知安村が町制を施行し、倶知安町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。