今の京極町
後志総合振興局の管内で、羊蹄山の麓に広がる町です。倶知安町の東に隣り合い、1910年に倶知安村から分かれました。羊蹄山に降った雪や雨がろ過されて湧き出す、ふきだし公園の湧水が名所です。羊蹄山の高山植物帯は国の天然記念物に指定されています。冷涼な気候を生かして男爵いもなどの野菜が作られ、京極温泉や川上温泉もあります。
今の京極町の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,941人です。今の区域で数えた1980年の4,276人とくらべると31.2%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.0%です。
主な産業:男爵いもなどの畑作が中心で、湧水を生かした加工品もつくられています。
特産品・名産
- 男爵いも「ようてい男しゃく」のブランドで知られる
- 切干しにんじん&ごぼう京極産の野菜を天日に干した加工品
- 京極名水コーヒー名水を使いネルドリップで抽出
見どころ・祭り
- ふきだし公園羊蹄山の湧水が出る公園
- 後方羊蹄山の高山植物帯国の天然記念物
- 京極温泉日帰り温泉施設
- 川上温泉町内の温泉
木ミズナラ花ヒマワリ京極町の木・花
京極町のなりたち
京極町(きょうごくちょう)は、北海道後志地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに東倶知安村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は虻田郡に属していました。
「京極町」という名前
「京極」は、この地の開拓の先駆者である京極高徳の姓を付けた名です。旧讃岐丸亀藩主家の子爵だった京極高徳は、1897年(明治30年)に未開地の貸し付けを受けて「京極農場」を開きました。農場を中心に集落ができ、はじめは「東倶知安」と通称されましたが、1919年(大正8年)に鉄道が通ると、農場の敷地に置かれた駅が「京極駅」と名付けられました。1940年(昭和15年)に村名が東倶知安村から京極村に改められています。
まちの成り立ち
1897年(明治30年)に京極高徳が京極農場を開き、石川・富山の両県から小作者を募って移住させました。それ以前の1895年(明治28年)に岩内の河村源太郎が字下目名で牧場を経営しており、京極農場の開設後は福井、山梨、群馬、宮城、岐阜などの各県からも団体で入植し、畑作に従事しました。1910年(明治43年)4月に倶知安村から分かれ、二級町村制を施行して東倶知安村となりました。1919年(大正8年)には鉄道が開通し、京極駅が置かれています。1923年(大正12年)4月1日に一級町村制が施行されました。1940年(昭和15年)4月1日、村名を東倶知安村から京極村に改めました。理由には、京極農場が開放されるのに伴いその名を残すことや、駅名と村名が結びつかず混乱があったことが挙げられています。1962年(昭和37年)5月1日に町制を施行し、京極町となりました。その後、ほかの市町村と合併したことはありません。
年表
- 1910年4月明治43年倶知安村の一部が分かれて二級町村制を施行し、東倶知安村が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1923年4月1日大正12年東倶知安村が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1940年4月1日昭和15年東倶知安村が名を京極村と改めた。種類:改称 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1962年5月1日昭和37年京極村が町制を施行し、京極町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。