今の仁木町
北海道南西部、後志総合振興局の余市郡にある町です。山が多く、余市川沿いの平地に農地が開け、主な産業は農業です。特に仁木地区は果樹栽培が盛んで、リンゴ、ブドウ、サクランボが作られ、野菜も多く作られます。町内にはワイナリーや乳業工場、農村公園のフルーツパークにきがあります。夏にはさくらんぼフェスティバルなど、果物にちなむ催しが開かれます。
今の仁木町の区域の人口は、2020年の国勢調査で3,180人です。今の区域で数えた1980年の5,467人とくらべると41.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は40.3%です。
主な産業:果樹(リンゴ・ブドウ・サクランボ)と野菜の栽培を中心とした農業が主な産業です。
特産品・名産
- サクランボ仁木地区で栽培される果樹
- リンゴ仁木地区で栽培される果樹
- ブドウ仁木地区で栽培される果樹
見どころ・祭り
- フルーツパークにき農村公園
- 北明山仁玄寺北海道三十三観音霊場6番札所
- きのこ王国仁木店町内の観光施設
- さくらんぼフェスティバル町内で開かれるイベント
木サクランボ花コスモス、ラベンダー鳥アカゲラ仁木町の木・花・鳥
仁木町のなりたち
仁木町(にきちょう)は、北海道後志地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに大江村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、道内でもめずらしい町です。
1920年の時点で、この区域の町村は余市郡に属していました。
「仁木町」という名前
「仁木」は、この地を開いた仁木竹吉の姓にちなんだ名です。旧村名の「大江」は、開拓に功労のあった毛利藩士たちが、藩祖の大江広元の姓をとってつけたものです。1902年(明治35年)に山道・大江・仁木の3村が合わさったとき、村名は大江村となりました。1964年(昭和39年)の町制施行のとき、大江村が仁木町に改称されました。
まちの成り立ち
仁木の開拓は、1869年(明治2年)に伊藤清之助が上山道に移り、杣夫(木を切る仕事)をしたことに始まります。1879年(明治12年)11月には徳島県から100戸あまりが移住し、その後も移民が増えて集落ができました。開拓使は仁木村に勧業課を置き、移民を保護しました。1882年(明治15年)7月1日に仁木村に戸長役場が置かれ、1884年には仁木村外2村戸長役場ができました。1899年(明治32年)6月に赤井川村戸長役場が分かれています。1902年(明治35年)4月1日、山道・大江・仁木の3村が合併して二級町村制を施行し、大江村になりました。1915年(大正4年)に一級町村制となり、1925年(大正14年)には余市町との境界が改められ、大字山道村の一部が余市町に分けられました。1964年(昭和39年)11月1日に町制を施行し、大江村は仁木町に改称されました。耕地は少ないものの、果樹の栽培が盛んです。
年表
- 1884年余市郡の戸長役場から分かれて、仁木村外2村戸長役場が置かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1899年6月明治32年赤井川村の戸長役場が分かれた。種類:分割 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1902年4月1日明治35年余市郡の山道村・大江村・仁木村が合わさって二級町村制を施行し、大江村となった。種類:町村制 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1915年4月1日大正4年大江村が一級町村制を施行した。種類:その他 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1925年4月大正14年余市町との境界変更で、大字山道村の一部が余市町に移った。種類:一部編入 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
- 1964年11月1日昭和39年大江村が町制を施行し、仁木町と改称した。種類:町制施行 出典:www.pref.hokkaido.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。