今の東北町
上北郡の中央部にあり、東に小川原湖が広がる町です。湖ではシジミやワカサギ、シラウオがとれ、畑ではナガイモやダイコン、ニンニクなどが作られます。古屋敷貝塚や「日本中央の碑」など、古い時代を伝える史跡があります。2005年に旧東北町と上北町が合併して今の町になり、十和田市・三沢市・七戸町・野辺地町・六ヶ所村などと接しています。
今の東北町の区域の人口は、2020年の国勢調査で16,428人です。今の区域で数えた1980年の22,587人とくらべると27.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は38.4%です。
主な産業:ナガイモ・ダイコンなどの畑作や畜産と、小川原湖のシジミ・ワカサギ漁です。
特産品・名産
- ナガイモ町の大地でとれる代表的な野菜
- 小川原湖産大和しじみ小川原湖でとれるシジミ
- シラウオ小川原湖でとれる魚
- ワカサギ小川原湖でとれる魚
- ニンニク町で作られる野菜
見どころ・祭り
- 小川原湖町の東に広がる湖
- 日本中央の碑1949年に見つかった「日本中央」の石碑
- 古屋敷貝塚町の文化財に指定された貝塚
- 東北町歴史民俗資料館ナウマンゾウの臼歯などを展示
木甲地赤松花さくら鳥はくちょう東北町の木・花・鳥
東北町のなりたち
東北町(とうほくまち)は、青森県上北地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。浦野舘村・甲地村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の東北町になりました。
今の名前「東北町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の甲地村が約221km²だったのに対し、今の東北町は約348km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は上北郡に属していました。
「東北町」という名前
「東北」は、1963年(昭和38年)11月1日に甲地村が町制を施行したときに付けられた名です。「東」と「北」の二つの方角を含む町名で、名付けの経緯ははっきりしていません。2005年(平成17年)に上北町と合併して新しい町ができたときも、東北町の名が引き継がれました。旧上北町の名は、浦野舘村が町になった1958年(昭和33年)に付けられたものです。
まちの成り立ち
東北町は上北郡の中央部にあり、東に小川原湖が広がります。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、甲地村が単独で村となり、新館・上野・大浦の3村が一つになって浦野舘村が生まれました。1948年(昭和23年)には、浦野舘村の大浦の一部が、三沢村などと合わさって生まれた大三沢町(今の三沢市)に加わりました。1958年(昭和33年)9月1日、浦野舘村は町制を施行して上北町と名を改めました。1963年(昭和38年)11月1日には甲地村も町制を施行し、東北町と名を改めました。平成の合併の時期には、七戸町・天間林村を加えた4町村で話し合いましたが、この枠組みは2003年に解散しました。そのうえで2005年(平成17年)3月31日、東北町と上北町が合併し、今の東北町が生まれました。町内では1949年(昭和24年)に「日本中央」と刻まれた石碑が見つかっています。坂上田村麻呂が作ったともいわれますが、由来ははっきりしていません。町は米づくりや畑作が盛んで、小川原湖ではシジミやワカサギの漁が行われています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上北郡の甲地村が単独で村制を施行し、新館村・上野村・大浦村が合併して浦野舘村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1948年2月11日昭和23年上北郡浦野舘村の一部(大浦の一部)が、三沢村などと合わさって発足した大三沢町に加わった。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1958年9月1日昭和33年上北郡浦野舘村が町制を施行するとともに改称し、上北町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 1963年11月1日昭和38年上北郡甲地村が町制を施行するとともに改称し、東北町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2003年9月16日平成15年七戸町・上北町・東北町・天間林村の中部上北合併協議会が、上北町の離脱により廃止された。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2005年3月31日平成17年上北郡の東北町と上北町が合併し、改めて東北町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.aomori.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。