今のおいらせ町
上北郡の南東部で、東は太平洋に面する町です。十和田湖を源とする奥入瀬川が町の中を東へ流れ、三沢市・八戸市・六戸町・五戸町と接します。八戸市や三沢市のベッドタウンとして住宅地が広がり、大型の商業施設もあります。米やイチゴ、長いもなどの農業や、酒造りも行われます。根岸の大いちょうや阿光坊古墳群など古い歴史の跡があります。
今のおいらせ町の区域の人口は、2020年の国勢調査で24,273人です。今の区域で数えた1980年の17,637人とくらべると37.6%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は27.9%です。
主な産業:米・イチゴ・長いも・ニンジンなどの農業と、酒造や畜産加工があります。
特産品・名産
- イチゴ町で作られる果物
- 清酒「桃川」町内の酒蔵の清酒
- 長いも町で作られる野菜
見どころ・祭り
- 根岸の大いちょう安産の守り神。県の天然記念物
- 阿光坊古墳群国の史跡
- 氣比神社馬を祀る神社
- 間木堤ハクチョウの飛来地
- いちょう公園さくらの名所
木いちょう花さくら鳥はくちょうおいらせ町の木・花・鳥
おいらせ町のなりたち
おいらせ町(おいらせちょう)は、青森県上北地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。下田村・百石村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今のおいらせ町になりました。
今の名前「おいらせ町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は上北郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧下田村の区域には下田駅(青い森鉄道線)があります。
「おいらせ町」という名前
町の名は、十和田湖から流れ出て町の中を東へ流れる奥入瀬川にちなみます。2006年(平成18年)3月1日に百石町と下田町が合併して生まれた町です。はじめは六戸町を加えた3町で「おいらせ市」をつくる計画でしたが、六戸町が協議を離れたため、2町で「おいらせ町」となりました。
まちの成り立ち
おいらせ町は上北郡の南東部にあり、東は太平洋に面しています。十和田湖を源とする奥入瀬川が町の中を東へ流れ、太平洋に注ぎます。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、百石村と下田村がそれぞれ単独の村として発足しました。百石村は1929年(昭和4年)4月20日に町制を施行して百石町となりました。下田村は1948年(昭和23年)に区域の一部が大三沢町(今の三沢市)に加わり、1969年(昭和44年)8月1日に町制を施行して下田町となりました。平成の合併の時期には、百石町・下田町・六戸町の3町で法定の合併協議会を設け、新しい市の名を「おいらせ市」と決めていました。しかし2005年(平成17年)に六戸町が協議を離れ、2町での合併に切り替えられました。2006年(平成18年)3月1日、百石町と下田町が合併し、おいらせ町が発足しました。八戸市と三沢市にはさまれ、両市のベッドタウンとして住宅地が広がっています。根岸の大いちょうは安産の守り神として親しまれ、県の天然記念物です。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上北郡の百石村と下田村がそれぞれ単独で村制を施行した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1929年4月20日昭和4年上北郡百石村が町制を施行して百石町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 1948年2月11日昭和23年上北郡下田村の一部が、三沢村などと合わさって発足した大三沢町に加わった。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1969年8月1日昭和44年上北郡下田村が町制を施行して下田町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2005年2月10日平成17年百石町・下田町・六戸町の合併協議会から六戸町が離れ、協議会の規約が改められた。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2006年3月1日平成18年上北郡の百石町と下田町が合併しておいらせ町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.aomori.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。