今の三沢市
上北郡の太平洋岸にある市で、西は小川原湖、東は太平洋に囲まれています。市域は平らで、森林や草原、湖沼、砂浜の海岸など変化に富んだ自然があります。藩政時代は南部藩最大の牧場が広がった馬産地でした。アメリカ軍と航空自衛隊の三沢基地があり、商業が中心の市です。北部にはラムサール条約に登録された仏沼があり、市の鳥のオオセッカがすんでいます。
今の三沢市の区域の人口は、2020年の国勢調査で39,152人です。今の区域で数えた1980年の39,962人とくらべると2.0%減り、人口は2000年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は27.0%です。
主な産業:基地のまちとして商業が中心です。ナガイモ・ゴボウ・ニンニクの畑作と漁業もあります。
特産品・名産
- ながいも市内で多く作られる根菜
- ごぼう市内で多く作られる根菜
- にんにく市内で作られる野菜
見どころ・祭り
- 仏沼ラムサール条約に登録されたヨシ原の湿地
- 青森県立三沢航空科学館航空機の実物などを展示
- 寺山修司記念館三沢ゆかりの寺山修司の記念館
- 淋代海岸太平洋無着陸横断飛行の記念碑がある
- 三沢市歴史民俗資料館野口貝塚の土器などを収める
木松花さつき鳥オオセッカ三沢市の木・花・鳥
三沢市のなりたち
三沢市(みさわし)は、青森県上北地域の市です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では三沢村でした。
1920年の時点で、この区域の町村は上北郡に属していました。
「三沢市」という名前
「三沢」の地名の由来ははっきりしていません。1889年(明治22年)の町村制で、三沢村と天ヶ森村が一つになって三沢村が生まれました。1948年(昭和23年)に周りの村の一部と合わさって町になったときは「大三沢町」を名乗り、1958年(昭和33年)に市制を施行するときに名前を改めて三沢市となりました。
まちの成り立ち
三沢は上北郡の太平洋岸にあり、西は小川原湖、東は太平洋に囲まれています。藩政時代には盛岡南部藩で最大の牧場「木崎牧」が広がり、明治以降も馬の産地として知られました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、三沢村と天ヶ森村が一つになり、三沢村が発足しました。1931年(昭和6年)には、ミス・ビードル号が淋代海岸から太平洋無着陸横断飛行に飛び立っています。戦前に海軍が造った三沢飛行場は、戦後アメリカ軍に接収されて広げられ、人口が急に増えました。1948年(昭和23年)2月11日、三沢村に六戸村・下田村・浦野舘村の一部が合わさり、大三沢町が発足しました。1958年(昭和33年)9月1日には名前を改めて市制を施行し、三沢市となりました。その後は合併をしていません。市内にはアメリカ軍と航空自衛隊の三沢基地があり、商業が盛んな街です。1966年(昭和41年)には中心部で大火が起き、商店街などが焼けました。2005年(平成17年)には、オオセッカのすむ仏沼がラムサール条約に登録されました。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上北郡の三沢村と天ヶ森村が合併して三沢村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1948年2月11日昭和23年上北郡の三沢村と、六戸村の一部(犬落瀬の一部)・下田村の一部・浦野舘村の一部(大浦の一部)が合併して大三沢町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1958年9月1日昭和33年大三沢町が改称するとともに市制を施行し、三沢市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2002年1月17日平成14年十和田市・三沢市など上十三地域の10市町村が市町村合併共同研究会を設けたが、同年5月以降は活動を休止し、三沢市は合併しなかった。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。