今の深浦町
青森県の南西部にあり、西は日本海、東は白神山地に挟まれた細長い町です。海岸線まで険しい山が迫り、十二湖など多くの湖沼や、追良瀬川などの川があります。北前船の風待ち湊として栄え、円覚寺など古い寺社が残ります。南は秋田県、北は鰺ヶ沢町に接し、2005年に岩崎村と合わさって今の町になりました。漁業が盛んで、マグロを使ったご当地丼もあります。
今の深浦町の区域の人口は、2020年の国勢調査で7,346人です。今の区域で数えた1980年の15,445人とくらべると52.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は50.7%です。
主な産業:日本海の漁業が中心で、艫作・横磯・岩崎など多くの漁港があります。観光も盛んです。
特産品・名産
- 深浦マグロステーキ丼町内の店で出すマグロのご当地丼
- ふかうら雪人参雪の下で越冬させて甘くしたにんじん
- つるつるわかめ深浦産の天然わかめで作る海藻麺
見どころ・祭り
- 白神山地世界自然遺産。町の東に連なる
- 十二湖ブナ林に囲まれた湖沼群
- 千畳敷海岸岩場が広がる海岸
- 円覚寺澗口観音。薬師堂内厨子が重要文化財
- 風待ち舘北前船の資料を展示する館
木ブナ花福寿草鳥カモメ深浦町の木・花・鳥
深浦町のなりたち
深浦町(ふかうらまち)は、青森県西北五地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、3の町村がありました。大戸瀬村・岩崎村・深浦村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の深浦町になりました。
今の名前「深浦町」は、1920年にあった深浦村の名前を受け継いでいます。ほかの2の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の深浦村が約289km²だったのに対し、今の深浦町は約520km²と、およそ1.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は西津軽郡に属していました。
「深浦町」という名前
「深浦」の地名の由来ははっきりしていません。1889年(明治22年)の町村制で、深浦・広戸・追良瀬・横磯・月屋・艫作の6村が一つになったとき、深浦村の名が村の名になりました。1926年(大正15年)に町制を施行して深浦町となり、その後2度の合併を経ても深浦の名が受けつがれています。
まちの成り立ち
深浦は青森県の南西部にあり、西は日本海に面し、東には世界遺産の白神山地が連なります。南は秋田県、北は鰺ヶ沢町と接する細長い町です。昔は北前船の風待ち湊として栄え、大阪や京都の文化が入る表玄関でもありました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、深浦村・広戸村・追良瀬村・横磯村・月屋村・艫作村が一つになって深浦村が発足しました。同じとき、北には大戸瀬村、南には岩崎村が生まれています。深浦村は1926年(大正15年)4月1日に町制を施行して深浦町となりました。1955年(昭和30年)7月29日には大戸瀬村と合わさり、改めて深浦町が発足しました。平成の合併の時期には鰺ヶ沢町を加えた3町村で話し合いましたが、岩崎村が離れて協議会は廃止されました。そのうえで2005年(平成17年)3月31日、深浦町と岩崎村が合併し、今の深浦町が生まれました。町の南端には大間越関所の跡が残ります。海岸線まで険しい山が迫り、町の面積の大半を森林が占めます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、西津軽郡に深浦村・大戸瀬村・岩崎村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1926年4月1日大正15年西津軽郡深浦村が町制を施行して深浦町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年7月29日昭和30年西津軽郡の深浦町と大戸瀬村が合併し、改めて深浦町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2004年1月13日平成16年鰺ヶ沢町・深浦町・岩崎村の西海岸三町村合併推進協議会が、岩崎村の離脱により廃止された。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2005年3月31日平成17年西津軽郡の深浦町と岩崎村が合併し、改めて深浦町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.aomori.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。