今の新郷村
十和田湖の東側にある山あいの村で、西端は秋田県鹿角市と接します。戸来岳などの山々と森林に恵まれ、五戸川や浅水川の上流が流れます。十和田湖と八戸市を結ぶ国道454号に沿って集落が並びます。古くから放牧地として使われ、今も酪農が盛んで、長芋やニンニクなども作られています。「キリストの墓」の伝説でも知られます。
今の新郷村の区域の人口は、2020年の国勢調査で2,197人です。今の区域で数えた1980年の4,332人とくらべると49.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は49.3%です。
主な産業:酪農と、長芋・ニンニク・しいたけなどの農業が営まれています。
特産品・名産
- 長芋村の農業の主な品目
- ニンニク村の農業の主な品目
見どころ・祭り
- キリストの墓キリストの墓と伝わる塚。毎年キリスト祭
- 大石神ピラミッド巨石が集まる場所
- 間木ノ平グリーンパーク道の駅しんごうがある
木とち花みずばしょう新郷村の木・花
新郷村のなりたち
新郷村(しんごうむら)は、青森県三八地域の村です。今の村の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。戸来村・野沢村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の新郷村になりました。
今の名前「新郷村」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
1920年の時点で、この区域の町村は三戸郡に属していました。
「新郷村」という名前
「新郷」の名の由来ははっきりしていません。1955年(昭和30年)7月29日に、戸来村と野沢村の西越の地区が合わさって新しい村が生まれたとき、新郷村と名付けられました。村議会は、のちにこの日を合併記念日と定めています。
まちの成り立ち
新郷村は十和田湖の東にあり、村の西端は秋田県鹿角市との境です。十和田湖と八戸市を結ぶ国道454号が村を横切っています。南部氏の軍馬を育てる土地として、古くから放牧地に使われてきました。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、戸来村が単独で村となり、西越村と手倉橋村が一つになって野沢村が生まれました。1955年(昭和30年)7月29日、戸来村と野沢村の西越が合わさって新郷村が誕生しました。このとき野沢村の手倉橋は五戸町に移り、翌1956年には手倉橋の一部が五戸町から新郷村に加わっています。平成の合併の時期には、五戸町・倉石村と協議会をつくり、八戸地域の協議会にも加わりましたが、合併には至りませんでした。2008年(平成20年)には五戸町に合併の協議を申し入れましたが、話はまとまらず、単独の村として続いています。酪農が盛んで、長芋やニンニクなども作られています。戸来の地区には「キリストの墓」と伝わる塚があり、毎年祭りが開かれます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、三戸郡の戸来村が単独で村制を施行し、西越村と手倉橋村が合併して野沢村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1955年7月29日昭和30年三戸郡の戸来村と野沢村の一部(大字西越)が合併して新郷村が発足し、野沢村の残り(大字手倉橋)は五戸町に編入された。種類:新設合併 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 1956年4月1日昭和31年三戸郡五戸町の一部(手倉橋の一部)が新郷村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 2008年9月9日平成20年新郷村が申し入れた五戸町との合併協議について、五戸町は回答できないとする見解を伝えた。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。