今の中泊町
津軽半島の中央部、津軽山地の西側にある町です。旧中里町と旧小泊村の二つの地域に分かれています。西は日本海と十三湖に面し、岩木川などが流れます。中里の地域では農業と林業が営まれ、小泊の地域では漁業が盛んです。ブルーベリーの栽培や、イカの加工品づくりも行われています。太宰治の小説『津軽』にちなむ記念館もあります。
今の中泊町の区域の人口は、2020年の国勢調査で9,657人です。今の区域で数えた1980年の19,968人とくらべると51.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.4%です。
主な産業:農業と林業が主な産業で、小泊の地域では漁業とイカなどの水産加工が盛んです。
特産品・名産
- ブルーベリー加工品町で育てたブルーベリーのジャムなど
- イカ加工品日本海のイカで作る塩辛やのしいか
見どころ・祭り
- 中里城跡県の史跡
- 小説「津軽」の像記念館太宰治の『津軽』にちなむ記念館
- 宮越家豪農の離れと庭園。時期を限って公開
- 不動の滝町内の滝
木ヒバ花菊鳥ツバメ中泊町の木・花・鳥
中泊町のなりたち
中泊町(なかどまりまち)は、青森県西北五地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。内潟村・武田村・小泊村・中里村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の中泊町になりました。
今の名前「中泊町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの4の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の内潟村が約119km²だったのに対し、今の中泊町は約232km²と、およそ1.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北津軽郡に属していました。
「中泊町」という名前
「中泊」は、2005年(平成17年)3月28日に中里町と小泊村が合併してできた町の名で、中里の「中」と小泊の「泊」を合わせた形になっています。名前を決めた経緯ははっきりしていません。旧中里町と旧小泊村は隣り合っていなかったため、町は二つの地域に分かれています。
まちの成り立ち
中泊町は津軽半島の中央部、津軽山地の西側にある町です。旧中里町の地域と旧小泊村の地域の二つに分かれ、間には五所川原市の旧市浦村の地域があります。西は日本海と十三湖に面し、北の小泊は漁業の町です。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、北津軽郡に中里村・武田村・内潟村・小泊村が発足しました。中里村は1941年(昭和16年)9月10日に町制を施行して中里町となりました。1955年(昭和30年)3月1日、中里町が武田村・内潟村と合わさり、新しい中里町が発足しました。平成の合併の時期には、金木町・市浦村を加えた4町村で「十三湖町」をつくる協議が進みましたが、金木町の離脱で2004年に協議会は廃止されました。そのうえで2005年(平成17年)3月28日、中里町と小泊村が合併し、中泊町が発足しました。町内には中里城跡や、太宰治の小説『津軽』にちなむ記念館があります。かつての豪農の宮越家には、狩野派の襖絵のある離れと庭園が残ります。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、北津軽郡に中里村・武田村・内潟村・小泊村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1941年9月10日昭和16年北津軽郡中里村が町制を施行して中里町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年3月1日昭和30年北津軽郡の中里町・武田村・内潟村が合併し、改めて中里町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2004年1月31日平成16年金木町・中里町・市浦村・小泊村の津軽北部地方合併協議会が、金木町の離脱により廃止された。種類:その他 出典:www.pref.aomori.lg.jp
- 2005年3月28日平成17年北津軽郡の中里町と小泊村が合併して中泊町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.aomori.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。