今の羽後町
秋田県の南の端、雄勝郡の西部にある町です。面積の3分の2を出羽丘陵の山地が占め、出羽丘陵の峰を境に、東は雄物川水系、西は子吉川水系に分かれます。東部の平地は横手盆地の南西の一角にあたり、穀倉地帯になっています。県内でも雪の多い地域で、国の重要無形民俗文化財の西馬音内の盆踊りで知られます。
今の羽後町の区域の人口は、2020年の国勢調査で13,825人です。今の区域で数えた1980年の21,399人とくらべると35.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.4%です。
主な産業:米づくりと、羽後牛を中心とする畜産、スイカなどの農業が中心です。
特産品・名産
- 羽後牛町で盛んな畜産を代表する牛
- スイカ町の特産として紹介される農産物
- 西馬音内そば町の名物として知られるそば
見どころ・祭り
- 西馬音内の盆踊国の重要無形民俗文化財
- 鈴木家住宅中門造りの民家。主屋が重要文化財
- 三輪神社本殿は室町時代の建築
- 信淵神社・信淵文庫佐藤信淵を祀る神社と文庫
木ウメ花フクジュソウ鳥ウグイス羽後町の木・花・鳥
羽後町のなりたち
羽後町(うごまち)は、秋田県県南の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、7の町村がありました。明治村・新成村・田代村・三輪村・元西馬音内村・西馬音内町・仙道村です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の羽後町になりました。
今の名前「羽後町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの7の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の田代村が約64km²だったのに対し、今の羽後町は約240km²と、およそ3.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は雄勝郡に属していました。
「羽後町」という名前
「羽後」は、明治のはじめに出羽国が分けられてできた羽後国の名に由来する言葉で、秋田県のほぼ全域と山形県の北部をさしました。1955年(昭和30年)に西馬音内町と周りの村が合併したとき、新しい町の名に「羽後」が選ばれました。この名を選んだ理由を記した資料は見つかっておらず、くわしいいきさつははっきりしていません。
まちの成り立ち
羽後町は秋田県の南の端、雄勝郡の西部にある町です。面積の3分の2を出羽丘陵の山地が占め、東部は雄物川水系、西部は子吉川水系に分かれます。県内でも雪の多い地域です。
1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行で、雄勝郡に西馬音内村・三輪村・元西馬音内村・新成村・明治村・田代村・仙道村が発足しました。西馬音内村は1897年(明治30年)に町制を施行して西馬音内町となります。
1955年(昭和30年)4月1日、西馬音内町・三輪村・元西馬音内村・新成村・田代村・仙道村と、明治村のうち大沢を除く地区が合併し、羽後町が誕生しました。明治村の大沢は、平鹿郡の雄物川町に加わっています。翌1956年(昭和31年)には十文字町の一部が羽後町に編入されました。
町の木の梅は1967年(昭和42年)に、町の花の福寿草と町の鳥のうぐいすは1989年(平成元年)に定められました。西馬音内の盆踊りは1981年(昭和56年)に国の重要無形民俗文化財に指定されています。平成の大合併では合併を選ばず、羽後町として続いています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、雄勝郡に西馬音内村・三輪村・元西馬音内村・新成村・明治村・田代村・仙道村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1897年7月6日明治30年雄勝郡西馬音内村が町制を施行して西馬音内町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年雄勝郡の西馬音内町・三輪村・元西馬音内村・新成村・田代村・仙道村と、明治村のうち大沢を除く地区が合併して羽後町が発足した。明治村の大沢は平鹿郡雄物川町に加わった。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年10月1日昭和31年平鹿郡十文字町の一部が羽後町に編入された。種類:一部編入 出典:www.pref.akita.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。