今の設楽町
愛知県の北東部、奥三河と呼ばれる東三河北部にあるまちです。美濃三河高原に囲まれた山あいの町で、面積の約9割を山林が占めます。矢作川水系の名倉川や天竜川水系の津具川が流れ、田峯城や田峯観音、津具八幡宮などの城跡・寺社が点在し、花祭や田楽といった民俗芸能が受け継がれています。
今の設楽町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,437人です。今の区域で数えた1980年の9,321人とくらべると52.4%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は51.2%です。
主な産業:農林業(水稲・トマト・キャベツ・茶など)、酒造
特産品・名産
- 田峯茶名産・特産の項に記載
- 関谷醸造の日本酒町の特産として挙げられる
- からすみ名産として挙げられる郷土菓子
見どころ・祭り
- 田峯城田峰菅沼氏の山城(1470年築城)。近くに田峰観音
- 田峯観音(高勝寺)三河の田楽や地狂言が行われる寺
- 津具八幡宮津具地区の神社
- 添沢温泉町内の温泉
- 設楽町奥三河郷土館町の歴史・民俗の資料館(2021年に移転開館)
木ブナ花シャクナゲ設楽町の木・花
設楽町のなりたち
設楽町(したらちょう)は、愛知県東三河地方の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、6の町村がありました。上津具村・下津具村・名倉村・段嶺村・田口町・振草村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の設楽町になりました。
今の名前「設楽町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの6の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の段嶺村が約89km²だったのに対し、今の設楽町は約271km²と、およそ3.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北設楽郡に属していました。
「設楽町」という名前
町名の「設楽」は、この地域が古くから属してきた設楽郡(明治以降は北設楽郡)の名と同じです。1956年(昭和31年)に田口町などが合併したとき、旧町村の名ではなく「設楽」が選ばれましたが、その経緯や「設楽」という地名そのものの由来は、確認できた資料には書かれていません。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制の施行で、今の町域には北設楽郡の田口村・段嶺村・名倉村・津具村と、振草村の一部が生まれました。津具村は翌1890年に上津具村と下津具村に分かれ、田口村は1900年(明治33年)に町制を施行して田口町となります。昭和の大合併では、1956年(昭和31年)9月30日に田口町・段嶺村・名倉村と振草村の平山・神田・川合が合併して設楽町が発足しました。振草村の残りは東栄町に入っています。同じ日に上津具村と下津具村も合併して、ふたたび津具村となりました。平成の大合併では、2005年(平成17年)10月1日に設楽町と津具村が合併して、新しい設楽町が発足しています。町は奥三河の山あいにあり、面積の約9割を山林が占めます。今も田口・松戸・東納庫・神田・平山・川合・津具など、旧町村の地名が大字として使われています。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、北設楽郡に田口村・段嶺村・名倉村・津具村・振草村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1890年10月20日明治23年北設楽郡津具村が分割され、上津具村と下津具村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1897年3月29日明治30年北設楽郡段嶺村の一部(松戸)が田口村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1900年11月14日明治33年北設楽郡田口村が町制を施行し、田口町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年北設楽郡田口町・段嶺村・名倉村と振草村の一部(平山・神田・川合)が合併して設楽町が発足し、振草村の残りは東栄町に編入された。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1956年9月30日昭和31年北設楽郡上津具村・下津具村が合併して津具村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 2005年10月1日平成17年北設楽郡設楽町・津具村が合併して改めて設楽町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。