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尾張旭市おわりあさひし

尾張旭市がたどってきた合併の歴史です。

1町村から

今の尾張旭市

愛知県の中西部、名古屋市の北東に接する市で、北は名古屋市守山区、東は瀬戸市、南は長久手市に面しています。北部は尾張丘陵の一部をなす丘陵地、中央部は矢田川右岸の平野、南部は台地で、川は庄内川水系です。かつては養蚕や、瀬戸の陶磁器産業を支える労働力の供給地で、昭和に入ってからは電気機器などの工場が増えました。現在は名古屋のベッドタウンで、2011年からは「おいしい紅茶の店日本一」をめざす町おこしにも取り組んでいます。

今の尾張旭市の区域の人口は、2020年の国勢調査で83,144人です。今の区域で数えた1980年の53,151人とくらべると56.4%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は26.1%です。

83,144人人口(2020年)
+56.4%1980年からの増減
21.03km²面積(国土地理院)
3,954人/km²人口密度
26.1%65歳以上の割合
83,1441980199020052020
15歳未満 13.9%15〜64歳 60.0%65歳以上 26.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:電気機器・機械・窯業土石製品・紙製品などの工業が立地。

見どころ・祭り

  • 城山公園新居城(旭城)跡を整備した公園。模擬天守がある
  • 渋川神社山田郡の総社

木クスノキ花ヒマワリ尾張旭市の木・花

尾張旭市のなりたち

尾張旭市(おわりあさひし)は、愛知県尾張地方の市です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では旭村でした。

1920年の時点で、この区域の町村は東春日井郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、東春日井郡は1970年(昭和45年)12月1日に廃止されました。

11920年の町村の数
1回合併・編入の回数
21km²今の面積
1906年いちばん新しい合併

「尾張旭市」という名前

「旭」の名は、1906年(明治39年)に印場村・新居村・八白村が合併して旭村が生まれたときに付けられました。瀬戸との結びつきが強かったため、県からは「瀬戸口村」という名が提案されましたが、字数が多く瀬戸町と取り違えられるおそれがあるとして採らず、旧村名を使うことも避けて、日露戦争後の時勢から「旭」としたと伝えられます。1970年(昭和45年)の市制施行の際、千葉県の旭市と同じ名になるのを避けるため、旧国名を冠して「尾張旭市」と改めました。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)の町村制施行で、東春日井郡に印場村・新居村・八白村が生まれました。1906年(明治39年)7月16日、町村合併を進める県の指導を受けて3村が合併し、旭村となります。1925年(大正14年)には、旭村の一部(今・美濃ノ池)が瀬戸町に移りました。1948年(昭和23年)8月5日に町制を施行して旭町となります。昭和の大合併の時期には、1953年(昭和28年)の町村合併促進法を受けて守山町・志段味村との合併が持ち上がりましたが、町の東側は瀬戸市、西側は守山町との結びつきを望んで意見が分かれ、合併には至りませんでした。その後、市になるための人口要件が3万人に緩和されたのを機に、1970年(昭和45年)12月1日に市制を施行し、同時に尾張旭市と改称しました。これにより東春日井郡はなくなっています。平成の大合併にも加わらず、今の市域は1906年の旭村をほぼそのまま受け継いでいます。旧村名は印場・新居などの地名に残っています。

年表

  1. 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、東春日井郡に印場村・新居村・八白村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1906年7月16日明治39年東春日井郡の印場村・新居村・八白村が合併し、旭村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  3. 1925年8月25日大正14年瀬戸町・赤津村の合併に際し、旭村の一部(今・美濃ノ池)が瀬戸町に加わった。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  4. 1948年8月5日昭和23年旭村が町制を施行し、旭町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  5. 1970年12月1日昭和45年旭町が市制を施行すると同時に改称し、尾張旭市となった(東春日井郡は消滅)。種類:市制施行 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

旭村→旭町→尾張旭市1906〜今

参考にした資料