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蟹江町かにえちょう

蟹江町がたどってきた合併の歴史です。

1町村から

今の蟹江町

愛知県の西部、名古屋市の西に広がる濃尾平野の南部、木曽川下流のデルタ地帯に位置します。町内には蟹江川・日光川・福田川・善太川・佐屋川が流れ、町域の約5分の1を川が占めます。名古屋の都心から約15kmで、近鉄名古屋線とJR関西本線が通り、名古屋とのつながりの中で発展してきました。愛知県で唯一名湯百選に選ばれた尾張温泉があります。

今の蟹江町の区域の人口は、2020年の国勢調査で37,338人です。今の区域で数えた1980年の30,966人とくらべると20.6%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は25.9%です。

37,338人人口(2020年)
+20.6%1980年からの増減
11.09km²面積(国土地理院)
3,367人/km²人口密度
25.9%65歳以上の割合
37,3381980199020052020
15歳未満 12.4%15〜64歳 61.7%65歳以上 25.9%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

特産品・名産

  • いな饅頭ボラの若魚「イナ」を使った郷土料理
  • ぼら雑炊ボラを炊き込んだ海部郡南部の郷土料理
  • もろこずし淡水魚のもろこを使った押し寿司

見どころ・祭り

  • 須成祭車楽船行事と神葭流しは重要無形民俗文化財。ユネスコ無形文化遺産の構成遺産
  • 尾張温泉愛知県で唯一名湯百選に選ばれた温泉
  • 蟹江祭蟹江神明社の秋季大祭。毎年9月最終土日
  • 信長街道織田信長が清洲攻めで通った道と伝わる
  • 花しょうぶ祭町の花ハナショウブにちなむ祭り

木キンモクセイ花ハナショウブ蟹江町の木・花

蟹江町のなりたち

蟹江町(かにえちょう)は、愛知県尾張地方の町です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では蟹江町でした。

1920年の時点で、この区域の町村は海部郡に属していました。

11920年の町村の数
1回合併・編入の回数
11km²今の面積
1906年いちばん新しい合併

「蟹江町」という名前

「カニエ」という地名が文献に初めて現れるのは、1215年(建保3年)の「水野家文書」とされます。そのころの蟹江は海に囲まれた土地で、「蟹江郷」「富吉荘」と呼ばれていました。海辺にヤナギが茂り、水辺にたくさんのカニがすんでいたことから「蟹江」と呼ばれるようになったと伝えられています。2005年に青森県の蟹田町が合併でなくなってからは、名に「蟹」の字を持つ自治体は蟹江町だけです。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)10月1日の町村制施行で、蟹江本町村・蟹江新町村・今村と西福田村の一部が合わさって海東郡蟹江町が発足しました。今の町域にはほかに新蟹江村・西ノ森村・須成村と千秋村の一部がありました。海部地域で最初から町制を敷いたのは、津島町と蟹江町だけでした。県が小さな町村の整理を進めるなか、1906年(明治39年)7月1日に蟹江町は須成村・西ノ森村・新蟹江村と合併し、人口は1万人を超えました。1913年(大正2年)には海東郡と海西郡が合わさって海部郡となります。1956年(昭和31年)4月1日、永和村が分割されたときに善太新田の一部(新千秋地区)が蟹江町に編入され、今の町域ができあがりました。永和村の残りは津島市・佐屋町・十四山村に分かれて編入されています。その後は昭和・平成の大合併を通じて合併せず、2019年(令和元年)に町制施行130周年を迎えました。

年表

  1. 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、海東郡に蟹江町(蟹江本町村・蟹江新町村・今村と西福田村の一部が合併)・新蟹江村・西ノ森村・須成村・千秋村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1906年7月1日明治39年海東郡の蟹江町・西ノ森村・須成村・新蟹江村が合併し、改めて蟹江町が発足した。同日、千秋村は大井村・神島田村と合併して永和村となった。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  3. 1913年7月1日大正2年海東郡と海西郡が合併して海部郡が発足し、蟹江町は海部郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  4. 1956年4月1日昭和31年海部郡永和村が分割され、善太新田の一部(新千秋地区)が蟹江町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

蟹江町1889〜今

参考にした資料