今の岩倉市
愛知県北西部、濃尾平野のほぼ中央にある平坦な市で、木曽川がつくった扇状地の上に広がっています。名古屋市の北西約10kmにあり、名鉄犬山線が市の中央を通ります。住宅地が多く、名古屋のベッドタウンとして発展してきました。五条川は市内を北から南へ流れ、堤防の桜並木は日本さくら名所100選に選ばれています。
今の岩倉市の区域の人口は、2020年の国勢調査で47,983人です。今の区域で数えた1980年の42,800人とくらべると12.1%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は25.7%です。
主な産業:明治・大正期には養蚕・養鶏が盛んで、今もゆで卵の生産で知られます。
特産品・名産
- ゆで卵生産量が日本一とされる
見どころ・祭り
- 五条川の桜並木日本さくら名所100選
- 岩倉市桜まつり毎年4月に開催
- 山車夏まつり8月の祭り
- のんぼり洗い1月から3月の行事
- 新溝神社巨石群が地名の由来とされる
木クスノキ花ツツジ岩倉市の木・花
岩倉市のなりたち
岩倉市(いわくらし)は、愛知県尾張地方の市です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では岩倉町でした。
1920年の時点で、この区域の町村は丹羽郡に属していました。
「岩倉市」という名前
岩倉市の紹介ページによると、市内の新溝神社では明治時代の本殿改築の際に巨石群が見つかり、その一つが神の宿る岩「磐座(いわくら)」で、これが「岩倉」の地名の語源になったと言われています。言い伝えとして紹介されている説です。
「その巨石群のひとつに磐座(いわくら)があり、それが「岩倉」の地名の語源になったと言われています。」── 岩倉市
まちの成り立ち
1889年(明治22年)の町村制施行で、丹羽郡に岩倉村・豊秋村・島野村・幼村が生まれました。岩倉村は1892年(明治25年)に町制を施行して岩倉町となり、1906年(明治39年)5月1日には岩倉町・豊秋村・島野村と幼村の一部(八剱・井上・石仏・神野)が合併して、改めて岩倉町が発足しました。幼村の残りの地区は千秋村(現・一宮市)に加わっています。その後は昭和・平成の大合併に加わらず、1971年(昭和46年)12月1日に単独で市制を施行して岩倉市となりました。市の中央を名鉄犬山線が通り、名古屋のベッドタウンとして住宅が増えてきました。戦国時代には岩倉城が織田伊勢守家の居城で、1559年に織田信長に攻められて落城したと伝わります。明治・大正期には養蚕や養鶏が地域の暮らしを支えました。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、丹羽郡に岩倉村・豊秋村・島野村・幼村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1892年4月18日明治25年岩倉村が町制を施行し、岩倉町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1906年5月1日明治39年岩倉町・豊秋村・島野村と幼村の一部(八剱・井上・石仏・神野)が合併し、改めて岩倉町が発足した(幼村の残りは千秋村へ移った)。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1971年12月1日昭和46年岩倉町が市制を施行し、岩倉市となった。種類:市制施行 出典:Wikipedia
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。