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大口町おおぐちちょう

大口町がたどってきた合併の歴史です。

1町村から

今の大口町

愛知県北西部、濃尾平野にあり、木曽川の堆積物でできた扇状地の上に位置する平坦な町です。五条川沿いには桜並木が続き、「桜の町」として親しまれています。オークマをはじめ製造業の工場が多く、昼間人口が夜間人口を大きく上回る、働く人が集まるまちです。

今の大口町の区域の人口は、2020年の国勢調査で24,305人です。今の区域で数えた1980年の16,195人とくらべると50.1%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は25.1%です。

24,305人人口(2020年)
+50.1%1980年からの増減
13.61km²面積(国土地理院)
1,786人/km²人口密度
25.1%65歳以上の割合
24,3051980199020052020
15歳未満 15.0%15〜64歳 59.9%65歳以上 25.1%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:工作機械のオークマなど、製造業の工場が集まっています。

見どころ・祭り

  • 五条川堤防の桜並木町内の観光スポットとして紹介
  • 小口城址公園小口城の跡
  • 堀尾屋敷跡堀尾吉晴の屋敷跡と伝わる地
  • 桜塚古墳町内の古墳
  • やろ舞大祭町の祭事

木モクセイ花サクラ大口町の木・花

大口町のなりたち

大口町(おおぐちちょう)は、愛知県尾張地方の町です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では大口村でした。

1920年の時点で、この区域の町村は丹羽郡に属していました。

11920年の町村の数
1回合併・編入の回数
14km²今の面積
1906年いちばん新しい合併

「大口町」という名前

「大口」の名は、1906年(明治39年)の合併の際、太田村の「太」と小口村の「口」を1字ずつ取って「太口村」としたのが始まりとされます。のちに「太」の点が取れた形がふさわしくないとされて、今の「大口」の表記になったと『大口町史』にあると伝えられています。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)の町村制施行で、今の大口町域には丹羽郡の太田村・小口村・富成村などが生まれました。1895年(明治28年)には小口村のうち余野の地区が柏森村に移ります。1906年(明治39年)10月1日、太田村・小口村・富成村に柏森村の余野を加えて合併し、大口村が発足しました。柏森村の残りは同じ日に扶桑村の一部となっています。1962年(昭和37年)4月1日に町制を施行して大口町となりました。昭和・平成の大合併には加わらず、町として単独で続いています。旧村の名は小口・秋田・外坪・河北・余野などの地名に残り、1978年(昭和53年)からの町名整理で上小口・中小口・下小口などの新しい町名も生まれました。町内にはオークマなど製造業の工場が多く、昼間の人口が夜間の約1.4倍と、愛知県内でも働きに来る人の多いまちです。

年表

  1. 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、丹羽郡に太田村・小口村・富成村などが発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1895年8月19日明治28年小口村の一部(余野)が柏森村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  3. 1906年10月1日明治39年太田村・小口村・富成村と柏森村の一部(余野)が合併し、大口村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  4. 1962年4月1日昭和37年大口村が町制を施行し、大口町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

大口村→大口町1906〜今

参考にした資料