愛知県 › 扶桑町

扶桑町ふそうちょう

扶桑町がたどってきた合併の歴史です。

1町村から

今の扶桑町

愛知県北西部、濃尾平野北部にあり、木曽川の流れが作った犬山扇状地の扇頂近くに位置します。東西・南北とも約4kmのほぼ正方形の小さな町で、木曽川が北端を東から西へ流れ、川沿いには自然環境が残っています。地形は平らで、畑の多い土地柄です。町内にはイオンモールなどの商業施設があり、名古屋方面のベッドタウンとしての性格も持つ、農と住が混じり合ったまちです。

今の扶桑町の区域の人口は、2020年の国勢調査で34,133人です。今の区域で数えた1980年の27,254人とくらべると25.2%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は26.7%です。

34,133人人口(2020年)
+25.2%1980年からの増減
11.19km²面積(国土地理院)
3,050人/km²人口密度
26.7%65歳以上の割合
34,1331980199020052020
15歳未満 13.7%15〜64歳 59.5%65歳以上 26.7%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:畑作を中心とした農業が営まれ、守口大根の漬物などの食品工場もあります。

特産品・名産

  • 守口大根2013年に町内産が世界一長い大根としてギネス認定

見どころ・祭り

  • 覚王寺2005年に国の登録有形文化財となった寺院
  • 川田家住宅主屋国の登録有形文化財

木カシ花ヒマワリ扶桑町の木・花

扶桑町のなりたち

扶桑町(ふそうちょう)は、愛知県尾張地方の町です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では扶桑村でした。

1920年の時点で、この区域の町村は丹羽郡に属していました。

11920年の町村の数
1回合併・編入の回数
11km²今の面積
1906年いちばん新しい合併

「扶桑町」という名前

「扶桑」の名は、1906年(明治39年)に4つの村が合併して村が生まれた際、当時の丹羽郡長が「この村には桑畑が多いので扶桑と名づけてはどうか」と述べたことにちなむと、『扶桑町史』に記されています。合併前の高雄・山名・豊国・柏森のどの村名でもない、新しい名前が選ばれました。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)10月1日の町村制施行により、今の扶桑町域には丹羽郡の高雄村・山名村・豊国村・柏森村の4村が生まれました。1906年(明治39年)10月1日、この4村が合併して扶桑村が発足します。このとき高雄村のうち上野・木津は犬山町に、柏森村のうち余野は大口村に移り、残りの区域がまとまって扶桑村となりました。1912年(大正元年)には名古屋電気鉄道(のちの名鉄犬山線)に柏森駅・高雄駅(現在の扶桑駅)・木津用水駅が開業し、柏森の名は今も駅名に残っています。1952年(昭和27年)8月1日に町制を施行して扶桑町となりました。その後は昭和・平成のいずれの合併にも加わらず、1906年に生まれた村の区域を受け継いだまま今日に至っています。1958年(昭和33年)の中島住宅をはじめ住宅団地が次々に造られ、名古屋のベッドタウンとして人口が大きく増えました。

年表

  1. 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、丹羽郡に高雄村・山名村・豊国村・柏森村の4村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1895年8月19日明治28年小口村の一部(余野)が柏森村に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  3. 1906年10月1日明治39年高雄村(大字高雄)・山名村・豊国村・柏森村(大字柏森)が合併し、扶桑村が発足した(高雄村の上野・木津は犬山町へ、柏森村の余野は大口村へ移った)。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  4. 1952年8月1日昭和27年扶桑村が町制を施行し、扶桑町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

扶桑村→扶桑町1906〜今

参考にした資料