合戦絵巻 ─ 楚漢戦争 勢力図

濰水の戦い

前204年11月 / 斉 濰水

前204年11月 夜

土嚢で川をせき止める

1粒=約100人

紀元前204年、斉の濰水(いまの山東省)のほとりで、漢の韓信が、項羽の送った勇将・竜且の楚軍を破った。韓信は夜のうちに上流を土嚢でせき止めておき、わざと負けて逃げてみせた。追ってきた竜且の軍が川を渡りはじめたところでせきを切り、押し寄せる水で敵を分断して討ち取った。

上の観戦プレイヤーでは、漢軍(韓信・灌嬰)—と楚と斉の軍(竜且・田広)約20万の兵を1粒=100人で描き、布陣から決着までの6つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

漢軍(韓信・灌嬰)
—
楚と斉の軍(竜且・田広)
約20万
いつ
前204年11月 夜 → 結果

なぜ戦ったのか

彭城の戦いで大敗した劉邦は、滎陽で項羽とにらみ合った。そのあいだに、別働隊を率いる韓信は北へ向かい、魏・代・趙を次々に平定した。趙との井陘の戦いでは、川を背に陣を敷く「背水の陣」で勝っている。

前204年、韓信は東の斉に攻めこみ、都の臨淄を落とした。斉王の田広は逃れ、項羽に助けを求めた。

項羽は、最も頼りにする勇将の竜且に20万の兵をつけて斉へ送った。竜且の家臣は「城にこもって戦わず、斉の人々を味方につければ、遠くから来た漢軍は食糧に困って降伏する」と勧めたが、竜且は「韓信は臆病者だ」と聞かなかった。

合戦の経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

1前204年11月 夜

土嚢で川をせき止める

斉を救うため、項羽は勇将の竜且に20万の兵をつけて送った。竜且の家臣は「遠くで戦う漢軍は勢いが強い。城にこもって戦わずに守れ」と勧めたが、竜且は「韓信は臆病者だ」と聞かなかった。両軍は濰水をはさんで向かい合った。韓信は夜のうちに1万余りの袋に砂を詰めさせ、上流で川をせき止めた。

2朝

川を渡って攻め、わざと退く

水の減った川を、韓信は兵の半分を率いて渡り、竜且を攻めた。そして負けたふりをして西岸へ逃げ戻った。竜且は「やはり韓信は臆病者だ」と喜んだ。

3朝

竜且の追撃

竜且は全軍で韓信を追い、干上がった川を渡りはじめた。

4朝

せきを切る

その瞬間、韓信は土嚢を切らせた。せき止められていた水がどっと流れ下り、竜且の軍は川の中と東岸とに分断された。川の中の兵の多くが押し流された。

5朝

竜且の最期

西岸に渡りきった竜且の兵はわずかだった。韓信は取り囲んで攻め、竜且を討ち取った。東岸に残った楚と斉の軍は総崩れとなり、斉王田広は逃げたが、のちに捕らえられた。

6結果

濰水の戦いの結果

斉はすべて韓信に平定された。項羽は最も頼りにしていた竜且を失い、使者を送って韓信に「漢から独立して天下を三分せよ」と誘ったが、韓信は断った。

勝敗を分けたもの

上流をせき止める

韓信は夜のうちに1万余りの袋に砂を詰めさせ、濰水の上流をせき止めた。水の減った川は歩いて渡れるようになった。

わざと負ける

韓信は兵の半分を率いて川を渡り、竜且を攻めてから、負けたふりをして逃げ戻った。韓信を見くびっていた竜且は、喜んで全軍で追いかけた。

せきを切る

竜且の軍が川を渡りはじめたところで、韓信は土嚢を切らせた。押し寄せる水で楚軍は川の中と東岸に分断され、西岸に渡りきったわずかな兵が囲まれて討たれた。

主な武将とその後

韓信漢軍(韓信・灌嬰)

劉邦の大将軍。若いころ町のごろつきの股をくぐる屈辱に耐えた話(股くぐり)で知られる。斉を平定して斉王となり、垓下の戦いで項羽を追いつめた。のちに反乱を疑われて殺された。

竜且楚と斉の軍(竜且・田広)

項羽配下の勇将。韓信を見くびって追撃し、討ち取られた。

灌嬰漢軍(韓信・灌嬰)

漢の騎兵の将。韓信とともに斉を攻め、逃げた斉王田広を追った。

合戦のあと

斉はすべて韓信に平定された。項羽は最も頼りにしていた竜且を失い、使者の武渉を送って、韓信に「漢から独立して、楚・漢と天下を三分せよ」と誘った。弁士の蒯通も同じことを勧めたが、韓信は劉邦への恩を理由に断った。

韓信は斉王となり、前202年、劉邦とともに項羽を垓下に追いつめた。項羽は「四面楚歌」の中で最期を迎え、漢が天下を統一した。

諸説と論点

本当に川をせき止めたのか

土嚢で川をせき止めて水攻めにした話は、司馬遷の『史記』の「淮陰侯列伝」に見える。大きな川を一晩でせき止めることができたのかを疑う見方もあるが、韓信の奇策を伝える名高い話として語り継がれてきた。

韓信が独立していたら

もしこのとき韓信が独立していれば、楚・漢・斉の三国が並び立つ時代になったかもしれない。韓信の決断は、のちの彼自身の悲劇も含めて、多くの人の想像をかきたててきた。

関連年表

前205年4月彭城の戦い
前204年10月井陘の戦い(背水の陣)
前204年韓信が斉の臨淄を落とす
前204年11月濰水の戦い。竜且が討たれる
前203年韓信が斉王となる
前202年垓下の戦い。漢が天下を統一

両軍の陣容

漢軍(韓信・灌嬰)—

部隊兵力その後
土嚢1万余り上流をせき止める
韓信総大将
韓信の半数
灌嬰騎兵

楚と斉の軍(竜且・田広)約20万

部隊兵力その後
竜且総大将楚軍20万(号)討死・壊滅
楚軍沈没
楚軍沈没
斉王田広逃走

決め手

せきを切る

その瞬間、韓信は土嚢を切らせた。せき止められていた水がどっと流れ下り、竜且の軍は川の中と東岸とに分断された。川の中の兵の多くが押し流された。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人を表します。この合戦は「楚漢戦争 勢力図」の中でも、合戦アニメとして見られます。
主な参考:司馬遷『史記』淮陰侯列伝