合戦絵巻 ─ 太平洋戦争 勢力図

マレー沖海戦

1941年12月10日(日本時間) / マレー半島東岸 クアンタン沖

12月8日 夕方(現地)

Z部隊、シンガポールを出撃

1粒=約100人

1941年(昭和16年)12月10日、マレー半島東岸のクアンタン沖で、日本海軍の陸上攻撃機が、イギリスの新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈した。作戦中の戦艦が航空機だけで沈められたのは、これが初めてだった。「戦艦の時代」が終わり、「航空機の時代」が来たことを世界に示した戦いである。

上の観戦プレイヤーでは、兵を1粒=100人、船を1粒=1艘で描き、布陣から決着までの9つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

日本海軍 第二十二航空戦隊(元山・美幌・鹿屋航空隊)
約83・船1艘
イギリス東洋艦隊(Z部隊)
船6艘
いつ
12月8日 夕方(現地) → 結果

なぜ戦ったのか

1941年12月8日、日本軍は真珠湾攻撃と同時に、イギリス領マレー半島の北部に上陸した。目指すのは、イギリスのアジアの拠点シンガポールだった。

イギリスはこの年の秋、日本をけん制するため、新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスをシンガポールに送っていた。フィリップス提督は、駆逐艦4隻とともに「Z部隊」を編成し、日本軍の上陸地点の輸送船団をたたくため北へ向かった。

Z部隊には、戦闘機の護衛がなかった。仏印(いまのベトナム南部)のサイゴン周辺には、日本海軍の陸上攻撃機の部隊が集まっていた。

戦いの経過

場面の「▶ この場面を見る」で、上のプレイヤーがその場面を再生します。

112月8日 夕方(現地)

Z部隊、シンガポールを出撃

日本軍のマレー上陸を知ったフィリップス提督は、新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルス、駆逐艦4隻で「Z部隊」を編成し、上陸地点の輸送船団をたたくため北へ向かった。戦闘機の護衛はなかった。

212月9日 午後

伊65潜水艦が発見

哨戒中の伊65潜水艦がZ部隊を発見して打電した。夜になると日本の水上偵察機にも見つかり、奇襲の望みがなくなったフィリップスは、シンガポールへの反転を決めた。

312月10日 未明〜朝

反転、クアンタン沖へ

帰途、「クアンタンに日本軍上陸」の報告(誤報)を受けたZ部隊は、クアンタン沖に向かった。燃料の少ない駆逐艦テネドスは先にシンガポールへ帰した。同じころ、仏印のサイゴン周辺の基地から、海軍の陸上攻撃機85機が索敵を兼ねて南へ飛び立っていた。

411:45(現地 10:15)

帆足機がZ部隊を発見

引き返しかけていた索敵機の帆足正音予備少尉機が、クアンタン沖のZ部隊を発見した。知らせを受けた各隊は一斉に向きを変えた。

512:43頃(現地 11:13頃)

美幌空の水平爆撃

最初に美幌空の九六陸攻が高度3000m付近から爆弾を投下し、1発がレパルスに命中した。

613:10頃(現地 11:40頃)

元山空の雷撃 ── プリンス・オブ・ウェールズ被雷

元山空の雷撃隊が低空から迫り、魚雷がプリンス・オブ・ウェールズの左舷後部に命中した。推進軸が曲がって浸水が広がり、舵も利かなくなった。対空砲の多くも電源を失って動かなくなった。

713:50頃(現地 12:20頃)

鹿屋空の雷撃 ── レパルス沈没

鹿屋空の一式陸攻が両舷から挟むように雷撃した。それまで巧みにかわしていたレパルスにも魚雷が次々に命中し、14時03分(現地12時33分)に転覆して沈んだ。

814:50(現地 13:20)

プリンス・オブ・ウェールズ沈没

さらに爆弾を受けたプリンス・オブ・ウェールズも、フィリップス提督とともに沈んだ。駆逐艦が生存者を救助した。上空を飛んでいた帆足機は、沈没を確認して報告した。

9結果

マレー沖海戦の結果

英国:戦艦2隻が沈没し、約840人が死亡した。日本:航空機3機を失った。作戦行動中の戦艦を航空機だけで沈めた史上初めての戦いで、「戦艦の時代」が終わり「航空機の時代」が来たことを世界に示した。英国のチャーチル首相は、この知らせに大きな衝撃を受けたと回想している。東洋の英国海軍の主力は失われ、日本軍はマレー半島を南下していった。

勝敗を分けたもの

戦闘機の護衛がなかった

Z部隊は、陸上の基地から戦闘機の援護を受けられないまま行動した。戦艦の対空砲火だけでは、次々に襲ってくる攻撃機を防ぎきれなかった。

陸上から届く攻撃機

日本海軍の九六式陸攻・一式陸攻は、陸上の基地から1000km近く離れた海まで飛んで、魚雷や爆弾で攻撃できた。イギリス側は、これほど遠くから攻撃機が来るとは考えていなかった。

魚雷の集中

雷撃機は両舷から挟むように魚雷を放った。プリンス・オブ・ウェールズは最初の魚雷で推進軸が曲がり、舵が利かなくなった。巧みにかわしていたレパルスにも、魚雷が次々に命中した。

主な人物とその後

フィリップスイギリス東洋艦隊

イギリス東洋艦隊の司令長官。航空機の脅威を軽く見ていたともいわれる。プリンス・オブ・ウェールズとともに沈んだ。

帆足正音日本海軍 第二十二航空戦隊(元山・美幌・鹿屋航空隊)

索敵機の機長。引き返しかけていたところでZ部隊を発見し、沈没まで見届けて報告した。

戦いのあと

イギリスは戦艦2隻を失い、約840人が亡くなった。日本側の損失は航空機3機だった。イギリス首相チャーチルは、この知らせほど大きな衝撃を受けたことはなかったと回想している。

アジアのイギリス海軍の主力は失われ、日本軍はマレー半島を南下して、1942年2月15日、シンガポールを攻め落とした。その後も航空機の力は戦いの中心となり、皮肉にも日本の戦艦大和・武蔵も、のちに航空機によって沈められることになる。

諸説と論点

戦艦は時代遅れになったのか

マレー沖海戦は「戦艦の時代の終わり」を告げたといわれる。ただ、Z部隊は戦闘機の援護がない特殊な状況にあり、戦艦がすぐに役立たなくなったわけではない。それでも、海の戦いの主役が航空機と空母に移っていく流れを決定づけた。

関連年表

1941年10月プリンス・オブ・ウェールズがシンガポールへ向かう
1941年12月8日日本軍がマレー半島に上陸。真珠湾攻撃
1941年12月8日Z部隊がシンガポールを出撃
1941年12月10日マレー沖海戦
1942年2月15日シンガポールが陥落

両軍の戦力

日本海軍 第二十二航空戦隊(元山・美幌・鹿屋航空隊)約83・船1艘

部隊兵力その後
伊65潜水艦1隻
帆足機(索敵)1機
美幌空 九六陸攻(水平爆撃)約30機
元山空 九六陸攻(雷撃)約26機
鹿屋空 一式陸攻(雷撃)26機

イギリス東洋艦隊(Z部隊)船6艘

部隊兵力その後
プリンス・オブ・ウェールズ1隻沈没
レパルス1隻沈没
駆逐艦隊1隻
駆逐艦隊1隻
駆逐艦隊1隻
駆逐艦隊1隻

決め手

鹿屋空の雷撃 ── レパルス沈没

鹿屋空の一式陸攻が両舷から挟むように雷撃した。それまで巧みにかわしていたレパルスにも魚雷が次々に命中し、14時03分(現地12時33分)に転覆して沈んだ。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人(船は1艘)を表します。この戦いは「太平洋戦争 勢力図」の中でも、アニメとして見られます。
主な参考:防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書』(朝雲新聞社)