合戦絵巻 ─ 太平洋戦争 勢力図

レイテ沖海戦

1944年10月23日〜26日 / フィリピン レイテ島のまわりの海

10月22日〜23日

捷一号作戦 ── 4つの艦隊が動く

1粒=約100人

1944年(昭和19年)10月23日から26日にかけて、フィリピンのレイテ島のまわりの海で、日本海軍とアメリカ海軍が戦った。日本海軍は残る戦力のほぼすべてを投入し、4つの艦隊でレイテ湾を目指したが、戦艦武蔵をはじめ多くの艦を失った。この戦いの中で、神風特別攻撃隊による体当たり攻撃が始まった。史上最大の海戦といわれる。

上の観戦プレイヤーでは、兵を1粒=100人、船を1粒=1艘で描き、布陣から決着までの10つの場面を再生する。場面のボタンで、見たいところへ飛べる。

日本海軍 連合艦隊(栗田・西村・小沢艦隊ほか)
約5・船19艘
アメリカ海軍 第3艦隊・第7艦隊
約260・船16艘
いつ
10月22日〜23日 → 結果

なぜ戦ったのか

1942年のミッドウェー海戦のあと、日本は守勢に回った。1944年6月のマリアナ沖海戦で空母部隊が壊滅し、7月にはサイパン島が落ちた。

1944年10月20日、アメリカ軍はフィリピンのレイテ島に上陸した。フィリピンを失えば、日本は南方の石油などの資源を本土に運べなくなる。連合艦隊は「捷一号作戦」を発動し、残る艦隊のほぼすべてをレイテ湾に向かわせた。

作戦は、艦載機をほとんど持たない小沢艦隊(空母)が囮となってアメリカの空母部隊を北へ引きつけ、そのすきに栗田艦隊が北から、西村艦隊が南から、レイテ湾に突入して上陸部隊をたたく、というものだった。

戦いの経過

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110月22日〜23日

捷一号作戦 ── 4つの艦隊が動く

米軍のレイテ島上陸に対し、連合艦隊は残る戦力のほぼすべてを投入した。小沢艦隊(空母)が囮となって米空母部隊を北へ引きつけ、そのすきに栗田艦隊(大和・武蔵)が北から、西村艦隊が南から、レイテ湾に突入して上陸部隊をたたく作戦だった。

210月23日 早朝

パラワン水道 ── 愛宕・摩耶の沈没

パラワン島沿いの狭い水道で、待ち伏せていた米潜水艦ダーターとデイスが魚雷を放ち、栗田中将の旗艦・重巡愛宕と摩耶が沈んだ。栗田中将は泳いで駆逐艦に救助され、大和に旗艦を移した。

310月24日

シブヤン海 ── 武蔵の沈没

シブヤン海に入った栗田艦隊を、米第3艦隊の艦載機が5回にわたって攻撃した。攻撃は戦艦武蔵に集中し、魚雷約20本・爆弾約17発を受けた武蔵は、夜になって沈んだ。栗田艦隊はいったん西へ反転し、米軍は「日本艦隊は退却した」と判断した。

410月24日 夜

ハルゼーの北上

夕方、ルソン島北東で小沢艦隊の空母が発見された。ハルゼー大将は第3艦隊の全力を率いて北へ向かい、サンベルナルジノ海峡の出口はがら空きになった。囮作戦は成功し、栗田艦隊はふたたび東へ向かって、夜のうちに海峡を抜けた。

510月25日 3:00〜

スリガオ海峡夜戦 ── 西村艦隊の全滅

南から狭いスリガオ海峡に入った西村艦隊を、米軍の魚雷艇・駆逐艦が次々に襲い、扶桑が沈んだ。海峡の出口では、真珠湾で傷ついたウェストバージニア・カリフォルニア・テネシーなどの戦艦部隊が待ち構え、レーダー射撃で山城を沈めた。西村艦隊で生還したのは駆逐艦時雨だけだった。

610月25日 6:45〜

サマール沖 ── 護衛空母部隊との遭遇

夜明け、サマール島の沖で栗田艦隊は米軍の護衛空母部隊「タフィ3」と遭遇した。大和は初めて敵艦に向けて46cm主砲を撃った。米駆逐艦は煙幕を張り、捨て身の魚雷攻撃で空母を守った。護衛空母ガンビア・ベイと駆逐艦2隻が沈んだ。

710月25日 10:50頃

神風特攻隊の突入

フィリピンのマバラカット基地から出撃した関行男大尉の「敷島隊」の零戦5機が、爆弾を抱えたまま護衛空母に体当たりした。護衛空母セント・ローが沈没した。組織的な特別攻撃(特攻)の始まりで、終戦までに多くの若い搭乗員が特攻で命を落とすことになる。

810月25日 12:30頃

栗田艦隊の反転

レイテ湾まであと約80kmに迫りながら、栗田艦隊は突入をやめて北へ反転し、サンベルナルジノ海峡を引き返した。この「謎の反転」の理由は、今も議論が続いている。

910月25日

エンガノ岬沖 ── 瑞鶴の最期

北のエンガノ岬沖では、米第3艦隊の艦載機が小沢艦隊を攻撃し、真珠湾攻撃に参加した最後の空母・瑞鶴を含む空母4隻をすべて沈めた。囮の役目は果たしたが、本隊の栗田艦隊はすでに引き返していた。

10結果

レイテ沖海戦の結果

日本:空母4隻、戦艦3隻(武蔵・山城・扶桑)、重巡6隻など多くの艦艇と、1万人以上の将兵を失った。米国:軽空母プリンストン、護衛空母2隻、駆逐艦など3隻を失った。連合艦隊は艦隊として戦う力を失い、これ以後、日本軍は特攻を主な戦法とするようになっていく。

勝敗を分けたもの

囮作戦

小沢艦隊を見つけたハルゼー大将は、第3艦隊の全力を率いて北へ向かった。栗田艦隊が通るサンベルナルジノ海峡の出口はがら空きになり、囮作戦は成功した。

航空機の力の差

日本の艦隊には、空から守る戦闘機がほとんどなかった。シブヤン海では、戦艦武蔵が米艦載機の攻撃を集中して受け、魚雷約20本・爆弾約17発を受けて沈んだ。

栗田艦隊の反転

サマール沖で米護衛空母部隊と戦ったあと、栗田艦隊はレイテ湾まであと80kmほどに迫りながら、突入をやめて引き返した。作戦の目的は果たされなかった。

主な人物とその後

栗田健男日本海軍 連合艦隊(栗田・西村・小沢艦隊ほか)

第二艦隊司令長官。旗艦が沈められて泳いで救助され、大和に移って指揮をとった。レイテ湾を目前にした反転の判断は、戦後も長く議論された。

西村祥治日本海軍 連合艦隊(栗田・西村・小沢艦隊ほか)

西村艦隊の司令官。南からスリガオ海峡に突入し、艦隊のほとんどとともに戦死した。

小沢治三郎日本海軍 連合艦隊(栗田・西村・小沢艦隊ほか)

囮となった小沢艦隊の司令長官。役目は果たしたが、真珠湾攻撃に参加した最後の空母・瑞鶴を含む空母4隻をすべて失った。

ハルゼーアメリカ海軍 第3艦隊・第7艦隊

アメリカ第3艦隊司令長官。小沢艦隊を追って北へ向かったため、海峡の守りを空けたとして批判された。

関行男日本海軍 連合艦隊(栗田・西村・小沢艦隊ほか)

神風特別攻撃隊「敷島隊」の隊長。爆弾を抱えた零戦で米護衛空母に体当たりし、戦死した。23歳だった。

戦いのあと

日本は空母4隻、戦艦3隻、重巡6隻など多くの艦と、1万人以上の将兵を失った。連合艦隊は、艦隊として組織的に戦う力を失った。アメリカは軽空母1隻、護衛空母2隻などを失った。

これ以後、日本軍は、航空機や小型の艇で敵艦に体当たりする特別攻撃(特攻)を、主な戦い方とするようになっていく。終戦までに、多くの若い搭乗員が特攻で命を落とした。

諸説と論点

栗田艦隊はなぜ反転したのか

栗田艦隊がレイテ湾を目前に引き返した「謎の反転」の理由は、近くに米空母部隊がいるとの誤った情報、連続した戦いによる疲れ、すでに上陸を終えた輸送船を攻めても意味が薄いという判断など、さまざまに論じられてきた。栗田自身も戦後多くを語らず、はっきりとした答えは出ていない。

「史上最大の海戦」

参加した艦船と航空機の数、戦いの海域の広さから、レイテ沖海戦は史上最大の海戦とされる。実際には、シブヤン海・スリガオ海峡・サマール沖・エンガノ岬沖の4つの海戦をまとめた呼び名である。

関連年表

1944年6月マリアナ沖海戦。日本の空母部隊が壊滅
1944年7月サイパン島が落ちる
1944年10月20日アメリカ軍がレイテ島に上陸
1944年10月24日シブヤン海で戦艦武蔵が沈む
1944年10月25日スリガオ海峡・サマール沖・エンガノ岬沖の戦い。特攻の始まり
1945年4月坊ノ岬沖海戦。戦艦大和が沈む

両軍の戦力

日本海軍 連合艦隊(栗田・西村・小沢艦隊ほか)約5・船19艘

部隊兵力その後
栗田艦隊(大和・武蔵ほか)1隻
戦艦1隻沈没
戦艦1隻
戦艦1隻
巡洋艦1隻沈没
巡洋艦1隻沈没
駆逐艦隊1隻
駆逐艦隊1隻
西村艦隊(山城・扶桑)1隻沈没
戦艦1隻沈没
巡洋艦1隻炎上
駆逐艦隊1隻
駆逐艦隊1隻沈没
小沢艦隊(瑞鶴ほか・囮)1隻沈没
1隻沈没
1隻沈没
1隻沈没
戦艦1隻
戦艦1隻
神風特別攻撃隊 敷島隊5機

アメリカ海軍 第3艦隊・第7艦隊約260・船16艘

部隊兵力その後
ハルゼーの第3艦隊1隻
1隻
1隻
戦艦1隻
護衛空母部隊(タフィ3)1隻沈没
1隻沈没
1隻
駆逐艦隊1隻沈没
駆逐艦隊1隻沈没
オルデンドルフ戦艦部隊1隻
戦艦1隻
戦艦1隻
駆逐艦隊1隻
駆逐艦隊1隻
潜水艦ダーター・デイス1隻
1隻
第3艦隊艦載機(のべ約260機)のべ約260機
第3艦隊艦載機艦載機

決め手

ハルゼーの北上

夕方、ルソン島北東で小沢艦隊の空母が発見された。ハルゼー大将は第3艦隊の全力を率いて北へ向かい、サンベルナルジノ海峡の出口はがら空きになった。囮作戦は成功し、栗田艦隊はふたたび東へ向かって、夜のうちに海峡を抜けた。

あわせて見たい合戦

部隊の位置・兵力は通説にもとづく概略です。兵力には諸説があります。粒の1つがおよそ100人(船は1艘)を表します。この戦いは「太平洋戦争 勢力図」の中でも、アニメとして見られます。
主な参考:大岡昇平『レイテ戦記』(中公文庫)、防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書』(朝雲新聞社)