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周防大島町すおうおおしまちょう

1920年には11の町村だった区域が、5回の合併・編入を経て、今の周防大島町になりました。

11町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の周防大島町

山口県の最も東の瀬戸内海にある、屋代島(周防大島)とその周りの島々からなる町です。全域が瀬戸内海国立公園に入ります。本州とは1976年に架かった大島大橋で結ばれています。ミカンの産地として知られます。明治から大正にかけて、島からは多くの人がハワイへ移民し、今もカウアイ郡と姉妹提携を結んでいます。

今の周防大島町の区域の人口は、2020年の国勢調査で14,798人です。今の区域で数えた1980年の32,021人とくらべると53.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は54.6%です。

14,798人人口(2020年)
−53.8%1980年からの増減
138.11km²面積(国土地理院)
107人/km²人口密度
54.6%65歳以上の割合
32,0211980199020052020
15歳未満 6.3%15〜64歳 39.1%65歳以上 54.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:ミカンを中心にした農業と、瀬戸内海の漁業、観光が中心です。

特産品・名産

  • 周防大島みかん町の木・花にもなっているミカン
  • 周防大島みかん鍋島の魚介と温州みかんを合わせた郷土料理
  • ワイン・リキュール2018年に「周防大島ワイン特区」に認定され、島の産物で酒づくりが進む

見どころ・祭り

  • 日本ハワイ移民資料館島からハワイへ渡った移民の歴史を伝える
  • 大島大橋1976年に架かった、本州との間の橋
  • 片添ヶ浜海浜公園海水浴場のある公園
  • なぎさ水族館町内の水族館
  • 沖家室大橋1983年に架かった、沖家室島との間の橋

木ミカン花ミカンの花周防大島町の木・花

周防大島町のなりたち

周防大島町(すおうおおしまちょう)は、山口県柳井圏の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、11の町村がありました。小松町・屋代村・蒲野村・沖浦村・油田村・和田村・森野村・家室西方村・日良居村・安下庄町・久賀町です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の周防大島町になりました。

今の名前「周防大島町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの11の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の久賀町が約18km²だったのに対し、今の周防大島町は約134km²と、およそ7.5倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は大島郡に属していました。

111920年の町村の数
5回合併・編入の回数
138km²今の面積
2004年いちばん新しい合併

「周防大島町」という名前

「周防大島」は、瀬戸内海に浮かぶ屋代島(やしろじま)の通称です。周防国にある大きな島という意味合いとみられますが、名の由来ははっきりしていません。2004年(平成16年)に島の4町が合併したとき、この通称を取って町名を周防大島町としました。島は全域が瀬戸内海国立公園に入っています。

まちの成り立ち

周防大島町は、屋代島(周防大島)とその周りの島々からなる町です。町が発足する前、島には久賀町、大島町、東和町、橘町の4町がありました。久賀町は、1904年(明治37年)に久賀村が町制を施行した町です。大島町は、1952年(昭和27年)9月15日に小松町と屋代村が合わさって生まれ、1955年(昭和30年)1月15日に蒲野村・沖浦村が加わりました。東和町は、1955年4月1日に油田村・和田村・森野村・白木村が合わさって生まれました。白木村は、1941年に家室西方村が名を改めた村です。橘町は、同じ年の4月10日に日良居村と安下庄町が合わさって生まれました。1976年(昭和51年)には大島大橋が架かって柳井市大畠とつながり、1983年には沖家室大橋で沖家室島ともつながりました。2004年(平成16年)10月1日、久賀町・大島町・東和町・橘町が新設合併し、周防大島町が発足しました。島からは明治から大正にかけて、約4,000人がハワイへ移民しました。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、大島郡に油田村・和田村・森野村・家室西方村・日良居村・安下庄村・久賀村・蒲野村・屋代村・小松志佐村・沖浦村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1904年1月1日明治37年大島郡の久賀村が町制を施行して久賀町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  3. 1915年11月1日大正4年大島郡の安下庄村が町制を施行して安下庄町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  4. 1916年6月1日大正5年大島郡の小松志佐村が町制を施行し、改称して小松町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  5. 1941年11月3日昭和16年大島郡の家室西方村が改称して白木村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
  6. 1952年9月15日昭和27年大島郡の小松町と屋代村が合併して大島町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  7. 1955年1月15日昭和30年大島郡の大島町・蒲野村・沖浦村が合併し、改めて大島町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  8. 1955年4月1日昭和30年大島郡の油田村・和田村・森野村・白木村が合併して東和町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  9. 1955年4月10日昭和30年大島郡の安下庄町と日良居村が合併して橘町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  10. 1956年4月5日昭和31年大島郡大島町の一部(椋野)が久賀町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  11. 1956年4月10日昭和31年大島郡大島町の一部(秋の一部)が橘町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
  12. 2004年10月1日平成16年大島郡の久賀町・大島町・東和町・橘町が合併して周防大島町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.yamaguchi.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

周防大島町2004〜今
久賀町1904〜2004
大島町1952〜2004
蒲野村1889〜1955
沖浦村1889〜1955
小松町1916〜1952
屋代村1889〜1952
東和町1955〜2004
油田村1889〜1955
和田村1889〜1955
森野村1889〜1955
家室西方村→白木村1889〜1955
橘町1955〜2004
日良居村1889〜1955
安下庄町1915〜1955

参考にした資料