今の下関市
山口県の西の端、本州の最西端にある市です。関門海峡を挟んで福岡県の北九州市と向き合い、西は日本海の響灘、南は瀬戸内海の周防灘に面します。平地が少なく、山が海岸近くまで迫ります。古くから大陸への玄関口として栄え、幕末の下関戦争や日清戦争後の下関条約の舞台にもなりました。港には水産市場があり、ふく料理の町として親しまれています。
今の下関市の区域の人口は、2020年の国勢調査で255,051人です。今の区域で数えた1980年の325,478人とくらべると21.6%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.9%です。
主な産業:造船・食品製造などの工業と、ふくを中心とする水産業、港を生かした商業が盛んです。
特産品・名産
- ふく(フグ)南風泊市場に水揚げされるフグ。ふく鍋などで味わう
- 瓦そば川棚温泉で生まれた、熱した瓦で麺を焼く料理
- あんこう鍋下関三大鍋料理の一つ
見どころ・祭り
- 旧下関英国領事館国の重要文化財。現存する日本最古の領事館
- 巌流島宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘したとされる島
- 角島大橋本土と角島を結ぶ橋。響灘の景観で知られる
- 功山寺仏殿が国宝に指定されている寺
- 唐戸市場一般の人も利用できる水産物の市場
木クスノキ花ハマユウ鳥ペンギン下関市の木・花・鳥
下関市のなりたち
下関市(しものせきし)は、山口県下関圏の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、33の町村がありました。生野村・豊西上村・彦島村・長府町・安岡村・川中村・清末村・小月村・勝山村・王司村・岡枝村・楢崎村・殿居村・豊田中村・西市村・豊田下村・角島村・粟野村・神田村・阿川村・滝部村・神玉村・田耕村・宇賀村・川棚村・黒井村・豊西村・豊東村・吉田村・王喜村・内日村・小串村・下関市です。これらの町村が、13回の合併や編入を経て、今の下関市になりました。
今の名前「下関市」は、1920年にあった下関市の名前を受け継いでいます。ほかの32の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は厚狭郡・豊浦郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、厚狭郡は2005年(平成17年)3月22日に廃止されました、豊浦郡は2005年(平成17年)2月13日に廃止されました。
「下関市」という名前
「下関」の名は、関門海峡に置かれた関に由来します。古くは「赤間関(あかまがせき)」と呼ばれ、「赤間」は地名とみられています。「下関」の名は869年(貞観11年)の記録に初めて見え、「赤間関」は1185年(元暦2年)に初めて見えます。「馬関」という別名もあります。1889年(明治22年)の市制施行では赤間関市が発足し、1902年(明治35年)に下関市へ改称しました。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、赤間関市が市制を施行して発足しました。全国で最初に市制を施行した31市の一つで、山口県では唯一でした。1902年(明治35年)6月1日に下関市と改称しています。その後は周りの町村を編入して広がりました。1921年に生野村、1933年に彦島町、1937年に長府町、安岡町、川中村を編入し、1939年には小月町、清末村、王司村、勝山村、吉見村が加わりました。戦後も1954年に豊西村の一部、1955年に王喜村、吉田村、内日村を編入しています。一方、豊浦郡では1951年に岡枝村・楢崎村が合わさって菊川村が生まれ、1954年に豊田町、1955年に豊北町と豊浦町、菊川町ができました。2005年(平成17年)2月13日、下関市と菊川町・豊田町・豊浦町・豊北町が新設合併し、新しい下関市が発足しました。この合併で豊浦郡はなくなっています。同年10月1日には中核市に指定されました。
年表
- 1889年4月1日明治22年市制の施行により、赤間関区の区域(六連島・彦島を除く)をもって赤間関市が発足した。種類:市制施行 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、豊浦郡に豊東村・岡枝村・豊東郷村・内日村・小月村・清末村・豊東前村・長府村・豊東上村・豊東下村・豊西下村・豊西中村・豊西上村・豊西村・豊西東村・川棚村・小串村・宇賀村・神玉村・角島村・神田下村・阿川村・粟野村・滝部村・田耕村・豊田上村・豊田中村・豊田奥村・豊田下村・彦島村が、厚狭郡に王喜村・吉田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1898年9月1日明治31年豊浦郡の豊西東村が黒井村に、豊東下村が生野村に、豊東前村が王司村に、豊東上村が勝山村に改称した。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1899年4月1日明治32年豊浦郡の豊田奥村が西市村に、豊東郷村が楢崎村に改称した。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1902年6月1日明治35年赤間関市が改称して下関市となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1910年7月1日明治43年豊浦郡の豊西中村が改称して安岡村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1911年4月1日明治44年豊浦郡の長府村が町制を施行して長府町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1912年4月1日明治45年豊浦郡の豊田上村が改称して殿居村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1914年9月1日大正3年豊浦郡の豊西下村が改称して川中村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1918年5月1日大正7年豊浦郡の神田下村が改称して神田村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1921年1月10日大正10年豊浦郡生野村が下関市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1921年10月1日大正10年豊浦郡の彦島村が町制を施行して彦島町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1922年10月1日大正11年豊浦郡の豊西上村が改称して吉見村となった。種類:改称 出典:Wikipedia
- 1924年2月11日大正13年豊浦郡の西市村が町制を施行して西市町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1925年2月11日大正14年豊浦郡の安岡村が町制を施行して安岡町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1925年5月1日大正14年豊浦郡の小串村が町制を施行して小串町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1932年11月3日昭和7年豊浦郡の小月村が町制を施行して小月町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1933年3月20日昭和8年豊浦郡彦島町が下関市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1937年3月26日昭和12年豊浦郡長府町が下関市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1937年11月15日昭和12年豊浦郡の安岡町と川中村が下関市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1939年5月17日昭和14年豊浦郡の小月町・清末村・王司村・勝山村・吉見村が下関市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1951年4月1日昭和26年豊浦郡の楢崎村と岡枝村が合併して菊川村が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年8月1日昭和29年豊浦郡豊西村の一部(吉母・蓋井島と室津上の一部)が下関市に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1954年10月1日昭和29年豊浦郡の殿居村・豊田中村・西市町・豊田下村が合併して豊田町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年豊浦郡の豊西村・黒井村・川棚村と宇賀村の一部が合併して豊浦町が、神玉村・角島村・神田村・阿川村・粟野村・滝部村・田耕村と宇賀村の残りが合併して豊北町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年4月10日昭和30年豊浦郡の菊川村・豊東村と内日村の一部が合併して菊川町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年7月1日昭和30年厚狭郡の王喜村と吉田村が下関市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1955年11月1日昭和30年豊浦郡内日村が下関市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1956年7月1日昭和31年豊浦郡小串町が豊浦町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 2005年2月13日平成17年下関市と豊浦郡の菊川町・豊田町・豊浦町・豊北町が合併し、改めて下関市が発足した。豊浦郡はなくなった。種類:新設合併 出典:www.pref.yamaguchi.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。