今の魚津市
富山県の東部にある市で、北西は富山湾に面し、南東は北アルプスに連なる山地です。細長い市域には、海辺から平野、丘陵、扇状地、山あいまでが並びます。蜃気楼・埋没林・ホタルイカは魚津の三大奇観と呼ばれ、地中から見つかった魚津埋没林は国の特別天然記念物です。かつては北陸街道の宿場町や港町として栄え、今も漁業とりんごなどの果樹づくりが続いています。
今の魚津市の区域の人口は、2020年の国勢調査で40,535人です。今の区域で数えた1980年の49,512人とくらべると18.1%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は35.6%です。
主な産業:漁業と、りんご・梨などの果樹や米の農業、工業団地での製造業があります。
特産品・名産
- 加積りんご加積地区で明治から続くりんご
- ホタルイカ春の富山湾でとれる。三大奇観の一つ
見どころ・祭り
- 魚津埋没林博物館特別天然記念物の埋没林を展示
- 蜃気楼春を中心に富山湾で見られる現象
- 魚津水族館1913年創設の水族館
- 松倉城跡越中最大規模とされる中世の山城
木マツ花カノコユリ魚津市の木・花
魚津市のなりたち
魚津市(うおづし)は、富山県新川地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、12の町村がありました。経田村・天神村・道下村・西布施村・下野方村・上野方村・片貝谷村・下中島村・上中島村・松倉村・加積村・魚津町です。これらの町村が、1回の合併や編入を経て、今の魚津市になりました。
今の名前「魚津市」は、1920年にあった魚津町の名前を受け継いでいます。ほかの11の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
1920年の時点で、この区域の町村は下新川郡に属していました。
「魚津市」という名前
この土地は古くは「魚堵(おど)」と呼ばれ、小戸ケ浦・小戸・小津とも書かれました。魚がよくとれる土地だったことから、のちに「魚津」と改められたと伝わります。魚がとれるので人が集まり、家が増えていったという言い伝えもあります。魚津という名はそれほど古いものではなく、1476年とするものや、1595年に小津を魚津に改めたとする文献があります。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行で、下新川郡に魚津町と、まわりの上中島村・下中島村・松倉村・上野方村・下野方村・片貝谷村・加積村・道下村・経田村・天神村・西布施村の11の村が生まれました。
魚津は北陸街道の宿場町で、港町でもありました。江戸時代のはじめには魚津城代が新川郡をまとめ、のちには魚津在住という役が魚津町と新川郡を治めました。明治のはじめ、短いあいだ置かれた新川県の県庁も魚津に置かれました。1918年(大正7年)7月には、魚津町の浜で米の積み出しを止めようとする騒ぎが起こり、全国に広がった米騒動のきっかけの一つになりました。
昭和の大合併では、1952年(昭和27年)4月1日に魚津町と11の村がそろって合併し、魚津市が発足しました。市の区域は富山湾の海辺から、片貝川や早月川の上流の山あいまで細長く続いています。それ以来、市の区域は大きく変わっていません。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、下新川郡に魚津町・下中島村・上中島村・松倉村・上野方村・下野方村・片貝谷村・加積村・道下村・経田村・天神村・西布施村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1952年4月1日昭和27年下新川郡の魚津町・上中島村・下中島村・松倉村・上野方村・下野方村・片貝谷村・加積村・道下村・経田村・天神村・西布施村が合併して魚津市が発足した。種類:新設合併 出典:www.city.uozu.toyama.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。