今の入善町
富山県の東部、下新川郡にある町です。北は日本海に面し、黒部川がつくった黒部川扇状地の中央に広がります。扇状地を流れた水は海に近い所で湧き水となり、黒部川扇状地湧水群として名水百選に選ばれています。平らな土地に水田が続き、県内でも有数の米どころです。チューリップの球根や大きなスイカの産地としても知られます。
今の入善町の区域の人口は、2020年の国勢調査で23,839人です。今の区域で数えた1980年の29,163人とくらべると18.3%減り、人口は1990年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.0%です。
主な産業:米・チューリップ球根・スイカなどの農業と、製造業が盛んです。
特産品・名産
- 入善ジャンボ西瓜町の特産の大きな俵形のスイカ
- チューリップ町の花。球根づくりが盛ん
- コシヒカリ扇状地の水で育つ米
見どころ・祭り
- 杉沢の沢スギ湧水地に育つ杉林。国の天然記念物
- 入善沖海底林海底に残る古い樹木の根株
- じょうべのま遺跡古代の荘園の遺跡。国の史跡
- 下山芸術の森発電所美術館古い水力発電所を使った美術館
- 小摺戸の大藤県指定の天然記念物の藤
花チューリップ入善町の花
入善町のなりたち
入善町(にゅうぜんまち)は、富山県新川地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、9の町村がありました。横山村・上原村・椚山村・青木村・飯野村・新屋村・小摺戸村・舟見町・入善町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の入善町になりました。
今の名前「入善町」は、1920年にあった入善町の名前を受け継いでいます。ほかの8の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の入善町が約6km²だったのに対し、今の入善町は約72km²と、およそ11.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は下新川郡に属していました。
「入善町」という名前
町の名は、中心の地名「入膳(にゅうぜん)」に由来します。この地には平安時代の終わりごろから、奈良の東大寺の荘園「入善庄」がありました。江戸時代の1704年(宝永元年)の村名の由来を書き上げた記録には、村はもと金沢と呼ばれていたものの、あたりを入膳郷と呼んでいたことから入膳村としたとあります。地名の「入膳」と町名の「入善」とで、使う字が違っています。言葉そのものの意味ははっきりしていません。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行で、入膳村などの区域から下新川郡入善町が発足しました。まわりには横山村・上原村・椚山村・青木村・飯野村・新屋村・小摺戸村があり、山側には舟見町と野中村がありました。
昭和の大合併では、1953年(昭和28年)10月1日に入善町と7つの村が合併し、改めて入善町が発足しました。人口は2万8千人余りでした。
舟見町はこのときの合併に加わらず、野中村は1954年(昭和29年)に朝日町へ編入されました。旧野中村では、朝日町と舟見町のどちらと一緒になるかで意見が分かれていました。1959年(昭和34年)1月1日、旧野中村の大字野中など一部の区域が朝日町から舟見町へ移り、同じ日に舟見町が入善町に編入されました。これで今の町域がほぼ固まりました。
町は黒部川扇状地の中央にあり、扇状地の水を生かした米づくりが盛んです。チューリップの球根やジャンボ西瓜も町を代表する作物です。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、下新川郡に入善町・舟見町・横山村・上原村・椚山村・青木村・飯野村・新屋村・小摺戸村・野中村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1953年10月1日昭和28年下新川郡の入善町・横山村・上原村・椚山村・青木村・飯野村・新屋村・小摺戸村が合併し、改めて入善町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年11月20日昭和29年下新川郡野中村が朝日町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1959年1月1日昭和34年朝日町のうち旧野中村の大字野中・島迷・今江・二ツ屋・西中・林尻・古畑と中沢・藤塚・下野の各一部が舟見町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1959年1月1日昭和34年下新川郡舟見町が入善町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。