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南砺市なんとし

1920年には30の町村だった区域が、8回の合併・編入を経て、今の南砺市になりました。

30町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の南砺市

富山県の南西部にあり、砺波平野の南部と、世界遺産の合掌造り集落がある五箇山を市域にします。平野の福野・井波・井口・城端・福光の各地域は、山に囲まれたU字形の地形で、北東に向かって開いています。山あいには庄川や小矢部川の上流が流れ、白山国立公園にもつながります。井波の木彫刻や福光の木製バットなど、木の工芸がさかんです。

今の南砺市の区域の人口は、2020年の国勢調査で47,937人です。今の区域で数えた1980年の66,844人とくらべると28.3%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は39.2%です。

47,937人人口(2020年)
−28.3%1980年からの増減
668.64km²面積(国土地理院)
72人/km²人口密度
39.2%65歳以上の割合
66,8441980199020052020
15歳未満 10.4%15〜64歳 50.5%65歳以上 39.2%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:観光と、製造業、井波彫刻や福光の木製バットづくりなどの木工が盛んです。

特産品・名産

  • 井波彫刻欄間や獅子頭などの木彫刻。伝統的工芸品
  • 木製バット福光で国内産のおよそ半数をつくる

見どころ・祭り

  • 五箇山の合掌造り集落世界遺産。相倉と菅沼の集落
  • 井波別院瑞泉寺井波にある真宗大谷派の寺
  • 南砺バットミュージアムプロ野球選手のバット約500本を展示

南砺市のなりたち

南砺市(なんとし)は、富山県砺波地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、30の町村がありました。野尻村・南野尻村・広塚村・南山見村・石黒村・吉江村・北山田村・広瀬村・山田村・広瀬館村・東太美村・西太美村・太美山村・南山田村・北野村・蓑谷村・大鋸屋村・山野村・東石黒村・南蟹谷村・西野尻村・高瀬村・福野町・井波町・福光町・井口村・利賀村・城端町・平村・上平村です。これらの町村が、8回の合併や編入を経て、今の南砺市になりました。

今の名前「南砺市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの30の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の利賀村が約178km²だったのに対し、今の南砺市は約672km²と、およそ3.8倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は東砺波郡・東礪波郡・西砺波郡・西礪波郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、東礪波郡は2004年(平成16年)11月1日に廃止されました、西礪波郡は2005年(平成17年)11月1日に廃止されました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧東石黒村の区域には東石黒駅(城端線)があります。旧福野町の区域には福野駅(城端線)があります。旧福光町の区域には福光駅(城端線)があります。旧城端町の区域には城端駅(城端線)があります。

301920年の町村の数
8回合併・編入の回数
669km²今の面積
2004年いちばん新しい合併

「南砺市」という名前

市の名前は、合併の前に全国から募集して決めました。2003年4月の公募には5,699通、2,752種類の案が寄せられ、「越南市」「光南市」「南砺市」「八乙女市」の4つにしぼられました。同じ年の8月、合併協議会の委員の投票で「南砺市」に決まりました。市は砺波平野の南部から山あいの五箇山までを占めていて、「南砺」は砺波の南という意味の名前です。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行で、いまの市域には城端町・井波町・福野町・福光町の4つの町と、25の村が生まれました。1896年に礪波郡が東西に分かれ、福光町とそのまわりの村は西礪波郡、ほかは東礪波郡に属しました。1898年には能美村が北野村と蓑谷村の二つに分かれています。

平野の町はまわりの村と合併して大きくなりました。福野町は1941年(昭和16年)に南野尻村・広塚村・野尻村と合併し、1954年には東石黒村とも合併しました。井波町は1951年に南山見村を編入し、1954年に山野村と合併しました。1952年5月1日には、福光町が9つの村と、城端町が4つの村とそれぞれ合併しています。福光町は1955年に南蟹谷村も編入しました。1957年には西野尻村、1959年には高瀬村が分割され、まわりの町に分かれて加わりました。

山あいの五箇山の平村・上平村、利賀村、それに井口村は、明治からずっと村のままでした。2004年(平成16年)11月1日、城端町・平村・上平村・利賀村・井波町・井口村・福野町・福光町の8町村が合併し、南砺市が発足しました。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、礪波郡に城端町・井波町・福野町・福光町と北山田村・山田村・南山田村・大鋸屋村・能美村・平村・上平村・利賀村・南山見村・井口村・高瀬村・山野村・南野尻村・広塚村・野尻村・東石黒村・西野尻村・石黒村・南蟹谷村・西太美村・広瀬村・広瀬館村・太美山村・東太美村・吉江村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1896年4月1日明治29年郡制の施行により礪波郡が東西に分かれ、福光町と石黒村・吉江村・広瀬村・広瀬館村・西太美村・東太美村・太美山村・南蟹谷村・東石黒村・西野尻村は西礪波郡、ほかの町村は東礪波郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  3. 1898年8月26日明治31年東礪波郡能美村が分割され、北野村と蓑谷村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
  4. 1941年4月1日昭和16年東礪波郡の福野町・南野尻村・広塚村・野尻村が合併し、新たに福野町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  5. 1951年4月1日昭和26年東礪波郡南山見村が井波町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  6. 1952年5月1日昭和27年西礪波郡の福光町・石黒村・広瀬村・広瀬館村・西太美村・太美山村・東太美村・吉江村と東礪波郡の北山田村・山田村が合併し、西礪波郡に新たに福光町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  7. 1952年5月1日昭和27年東礪波郡の城端町・南山田村・大鋸屋村・北野村・蓑谷村が合併し、新たに城端町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  8. 1954年4月1日昭和29年東礪波郡の井波町・山野村が合併し、新たに井波町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  9. 1954年7月20日昭和29年東礪波郡福野町と西礪波郡東石黒村が合併し、東礪波郡に新たに福野町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  10. 1955年4月1日昭和30年西礪波郡南蟹谷村が福光町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  11. 1957年8月1日昭和32年西礪波郡西野尻村が分割され、岩木などの区域が福光町に、安居などの区域が東礪波郡福野町に、残りが砺中町に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
  12. 1959年1月1日昭和34年東礪波郡高瀬村が分割され、高瀬・北市などの区域が井波町に、森清・江田などの区域が福野町に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
  13. 2004年11月1日平成16年東礪波郡の城端町・平村・上平村・利賀村・井波町・井口村・福野町と西礪波郡福光町が合併し、南砺市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

南砺市2004〜今
福野町1889〜2004同じ名前の駅:福野駅
高瀬村1889〜1959
西野尻村1889〜1957
東石黒村1889〜1954同じ名前の駅:東石黒駅
野尻村1889〜1941
南野尻村1889〜1941
広塚村1889〜1941
井波町1889〜2004
山野村1889〜1954
南山見村1889〜1951
福光町1889〜2004同じ名前の駅:福光駅
南蟹谷村1889〜1955
石黒村1889〜1952
吉江村1889〜1952
北山田村1889〜1952
広瀬村1889〜1952
山田村1889〜1952
広瀬館村1889〜1952
東太美村1889〜1952
西太美村1889〜1952
太美山村1889〜1952
井口村1889〜2004
利賀村1889〜2004
城端町1889〜2004同じ名前の駅:城端駅
南山田村1889〜1952
北野村1898〜1952
蓑谷村1898〜1952
大鋸屋村1889〜1952
平村1889〜2004
上平村1889〜2004

参考にした資料