今の高岡市
富山県の北西部にある市で、県内では富山市に次ぐ規模です。北東は富山湾に面し、庄川と小矢部川がつくった扇状地に市街地が広がります。北から西には二上丘陵や西山丘陵が連なり、南の砺波平野には屋敷林に囲まれた家々が点在します。前田利長が築いた高岡城の城下町として栄え、廃城後は商工業の町になりました。銅器や漆器などの伝統工芸と、豊富な水を生かしたアルミなどの工業が受け継がれています。
今の高岡市の区域の人口は、2020年の国勢調査で166,393人です。今の区域で数えた1980年の186,900人とくらべると11.0%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は34.6%です。
主な産業:高岡銅器・漆器などの伝統産業と、アルミ・化学・紙パルプなどの工業が盛んです。
特産品・名産
- 高岡銅器藩政期から続く鋳物の伝統産業
- 高岡漆器高岡を代表する伝統産業の一つ
- 福岡の菅笠旧福岡町で作られ、生産量は全国の9割以上
見どころ・祭り
- 瑞龍寺国宝。前田家ゆかりの寺
- 勝興寺国宝に指定された寺
- 高岡大仏日本三大仏の一つと称される銅造の大仏
- 雨晴海岸海越しに立山連峰を望む。渚百選
- 山町筋明治の商家町の町並み
木つまま(タブノキ)花かたかご(カタクリ)高岡市の木・花
高岡市のなりたち
高岡市(たかおかし)は、富山県高岡地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、32の町村がありました。下関村・西条村・横田村・二上村・山王村・大瀧村・新湊町・牧野村・伏木村・守山村・能町村・野村・佐野村・二塚村・福田村・国吉村・太田村・石堤村・東五位村・醍醐村・北般若村・是戸村・小勢村・般若野村・五位山村・西五位村・赤丸村・立野村・戸出町・中田町・福岡町・高岡市です。これらの町村が、19回の合併や編入を経て、今の高岡市になりました。
今の名前「高岡市」は、1920年にあった高岡市の名前を受け継いでいます。ほかの31の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の高岡市が約7km²だったのに対し、今の高岡市は約211km²と、およそ30.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は射水郡・東砺波郡・氷見郡・西砺波郡・西礪波郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、射水郡は2005年(平成17年)11月1日に廃止されました、西礪波郡は2005年(平成17年)11月1日に廃止されました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧伏木村の区域には伏木駅(氷見線)があります。旧能町村の区域には能町駅(氷見線)があります。旧二塚村の区域には二塚駅(城端線)があります。旧戸出町の区域には戸出駅(城端線)があります。旧福岡町の区域には福岡駅(あいの風とやま鉄道線)があります。
「高岡市」という名前
「高岡」という名は、中国の古い詩集『詩経』にある「鳳凰鳴けり彼の高き岡に」という一節からとったとされます。1609年(慶長14年)、加賀藩の前田利長が高岡城を築いて町を開いたときに、この縁起のよい名を付けました。それまでこのあたりは「関野(せきの)」とも「志貴野(しきの)」とも呼ばれていました。関野神社などに、その古い名が残っています。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、市制の施行で高岡市が生まれました。全国で最初にできた市の一つで、はじめは城下町だった範囲だけのせまい市でした。同じ日、まわりには伏木町や新湊町、戸出町・中田町・福岡町などの町と、多くの村ができました。
高岡市はまわりの村を少しずつ編入して広がります。1925年(大正14年)に下関村、1928年に西条村と横田村、1933年に二上村を編入しました。1942年(昭和17年)には、港のある伏木町と能町村・守山村・野村・佐野村・二塚村を編入し、同じ年に新湊町も加えました。しかし戦後の1951年1月、旧新湊町の区域は新湊町と牧野村として分かれ、新湊町はまもなく新湊市になりました。牧野村は同じ年の4月に、あらためて高岡市に編入されています。
このほか、1949年に福田村、1951年に国吉村、1953年に太田村・石堤村・東五位村、1954年に小勢村、1955年に立野村を編入しました。南の戸出町と中田町は、昭和の大合併でまわりの村と合併したあと、1966年(昭和41年)にそろって高岡市に編入されました。
西の福岡町は、1940年と1954年にまわりの村と合併し、赤丸村も編入して広がりました。2005年(平成17年)11月1日、高岡市と福岡町が合併し、新しい高岡市が発足しました。
年表
- 1889年4月1日明治22年市制の施行により、射水郡の高岡の町などの区域から高岡市が発足した。種類:市制施行 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、射水郡に伏木町・新湊町と掛開発村・下関村・能町村・二上村・守山村・西条村・横田村・佐野村・二塚村・野村・牧野村・太田村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、礪波郡に戸出町・中田町・福岡町と般若野村・北般若村・醍醐村・是戸村・小勢村・福田村・東五位村・立野村・山王村・大滝村・西五位村・五位山村・石堤村・赤丸村・国吉村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年郡制の施行により礪波郡が東礪波郡と西礪波郡に分かれ、中田町・般若野村・北般若村は東礪波郡、ほかの町村は西礪波郡に属した。射水郡太田村は新たに置かれた氷見郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1917年5月15日大正6年射水郡掛開発村が分割され、高岡市・能町村・二上村に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1925年8月1日大正14年射水郡下関村が高岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1928年6月1日昭和3年射水郡の西条村・横田村が高岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1933年8月1日昭和8年射水郡二上村が高岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1940年2月11日昭和15年西礪波郡の福岡町・山王村・大滝村が合併し、新たに福岡町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1940年12月1日昭和15年射水郡牧野村が新湊町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1942年4月1日昭和17年射水郡の伏木町・能町村・守山村・野村・佐野村・二塚村が高岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1942年10月1日昭和17年射水郡新湊町が高岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1949年1月1日昭和24年西礪波郡福田村が高岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1951年1月1日昭和26年高岡市のうち旧新湊町の区域が分かれ、射水郡に新湊町と牧野村が発足した。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1951年3月17日昭和26年西礪波郡国吉村が高岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1951年4月1日昭和26年西礪波郡小勢村の一部(伊勢領)が戸出町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1951年4月4日昭和26年射水郡牧野村が高岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1953年10月5日昭和28年氷見郡太田村と西礪波郡の石堤村・東五位村が高岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1954年1月15日昭和29年西礪波郡の戸出町・是戸村・醍醐村と東礪波郡北般若村が合併し、西礪波郡に新たに戸出町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年4月1日昭和29年西礪波郡小勢村が高岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1954年4月1日昭和29年東礪波郡の中田町・般若野村が合併し、新たに中田町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年8月1日昭和29年西礪波郡の福岡町・五位山村・西五位村が合併し、新たに福岡町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年9月15日昭和29年西礪波郡赤丸村が福岡町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年西礪波郡立野村が高岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1966年2月10日昭和41年西礪波郡戸出町と東礪波郡中田町が高岡市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 2005年11月1日平成17年高岡市と西礪波郡福岡町が合併し、新たに高岡市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。