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小矢部市おやべし

1920年には15の町村だった区域が、5回の合併・編入を経て、今の小矢部市になりました。

15町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の小矢部市

富山県の西部にあり、西のはしの倶利伽羅峠で石川県と接する市です。北から南西にかけて丘陵や山地が続き、東から南は砺波平野の一角で散居村の景色が広がります。小矢部川が流れ、石動と津沢の二つの市街地があります。古くから北陸道の要所で、石動は北陸街道の宿場町として栄えました。洋風の公共建築「メルヘン建築」でも知られます。

今の小矢部市の区域の人口は、2020年の国勢調査で28,983人です。今の区域で数えた1980年の36,497人とくらべると20.6%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.5%です。

28,983人人口(2020年)
−20.6%1980年からの増減
134.07km²面積(国土地理院)
216人/km²人口密度
37.5%65歳以上の割合
36,7111980199020052020
15歳未満 10.2%15〜64歳 52.3%65歳以上 37.5%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:衣料や機械、食品などの工場が立地し、平野部では稲作が行われています。

特産品・名産

  • 薄氷市内でつくられる銘菓
  • エッグホッパーご当地料理として売り出されている
  • おやべホワイトラーメン市内で出されるご当地ラーメン

見どころ・祭り

  • 倶利伽羅峠源平合戦の古戦場。石川県との境
  • クロスランドおやべ展望台から砺波平野の散居村を一望できる
  • メルヘン建築昭和後期に建てられた洋風の公共建築
  • 石動曳山祭毎年4月29日・30日に行われる祭り
  • 宮島峡渓谷と宮島温泉

木宮島杉花ハナショウブ(花木は紅梅)小矢部市の木・花

小矢部市のなりたち

小矢部市(おやべし)は、富山県砺波地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、15の町村がありました。宮島村・南谷村・荒川村・子撫村・正得村・松沢村・埴生村・藪波村・水島村・津沢町・北蟹谷村・東蟹谷村・西野尻村・若林村・石動町です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の小矢部市になりました。

今の名前「小矢部市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの15の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。

面積は、1920年の北蟹谷村が約23km²だったのに対し、今の小矢部市は約135km²と、およそ5.8倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は西砺波郡に属していました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧石動町の区域には石動駅(あいの風とやま鉄道線)があります。

151920年の町村の数
5回合併・編入の回数
134km²今の面積
1962年いちばん新しい合併

「小矢部市」という名前

市の名前は、市の中を流れる小矢部川からとられました。1962年(昭和37年)に石動町と砺中町が合併して市になるとき、市の中を流れるこの川の名前が新しい市の名前になりました。小矢部川は砺波平野の西側を北へ流れ、高岡市で富山湾に注ぐ川です。「小矢部」という言葉がもともと何を意味していたのかは、はっきりしていません。

まちの成り立ち

1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行で、いまの市域には石動町・津沢町と13の村が生まれました。石動は北陸街道の宿場町として栄えた町です。1896年に礪波郡が東西に分かれ、これらの町村は西礪波郡に属しました。

昭和の大合併では、1953年(昭和28年)9月10日に石動町と宮島村・子撫村・南谷村・埴生村・正得村・松沢村・荒川村が合併し、新しい石動町が生まれました。翌1954年7月には津沢町・藪波村・水島村が合併して砺中町が発足しています。同じ年の10月に北蟹谷村が石動町に編入され、11月には砺中町が東蟹谷村と合併しました。1957年には西野尻村と若林村が分割され、その一部がそれぞれ砺中町と石動町に加わりました。

1962年(昭和37年)8月1日、石動町と砺中町が合併して小矢部市が発足しました。合併には旧砺中町の津沢・水島地区で強い反対がありました。市の西のはしは倶利伽羅峠で、石川県と接しています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、礪波郡に石動町・津沢町と宮島村・子撫村・南谷村・埴生村・正得村・松沢村・荒川村・若林村・北蟹谷村・東蟹谷村・藪波村・水島村・西野尻村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  2. 1896年4月1日明治29年郡制の施行により礪波郡が東西に分かれ、これらの町村は西礪波郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  3. 1953年9月10日昭和28年西礪波郡の石動町・南谷村・埴生村・松沢村・正得村・荒川村・子撫村・宮島村が合併し、新たに石動町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  4. 1954年7月20日昭和29年西礪波郡の津沢町・藪波村・水島村が合併し、砺中町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  5. 1954年10月1日昭和29年西礪波郡北蟹谷村が石動町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
  6. 1954年11月18日昭和29年西礪波郡の砺中町・東蟹谷村が合併し、新たに砺中町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
  7. 1957年8月1日昭和32年西礪波郡西野尻村が分割され、興法寺などの区域が砺中町に、残りが福光町と東礪波郡福野町に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
  8. 1957年9月30日昭和32年西礪波郡若林村が分割され、金屋本江・水牧などの区域が石動町に、狐島などの区域が砺波市に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
  9. 1962年8月1日昭和37年西礪波郡の石動町・砺中町が合併し、小矢部市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

小矢部市1962〜今
石動町1889〜1962同じ名前の駅:石動駅
若林村1889〜1957
北蟹谷村1889〜1954
宮島村1889〜1953
南谷村1889〜1953
荒川村1889〜1953
子撫村1889〜1953
正得村1889〜1953
松沢村1889〜1953
埴生村1889〜1953
砺中町1954〜1962
西野尻村1889〜1957
東蟹谷村1889〜1954
藪波村1889〜1954
水島村1889〜1954
津沢町1889〜1954

参考にした資料