今の小矢部市
富山県の西部にあり、西のはしの倶利伽羅峠で石川県と接する市です。北から南西にかけて丘陵や山地が続き、東から南は砺波平野の一角で散居村の景色が広がります。小矢部川が流れ、石動と津沢の二つの市街地があります。古くから北陸道の要所で、石動は北陸街道の宿場町として栄えました。洋風の公共建築「メルヘン建築」でも知られます。
今の小矢部市の区域の人口は、2020年の国勢調査で28,983人です。今の区域で数えた1980年の36,497人とくらべると20.6%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.5%です。
主な産業:衣料や機械、食品などの工場が立地し、平野部では稲作が行われています。
特産品・名産
- 薄氷市内でつくられる銘菓
- エッグホッパーご当地料理として売り出されている
- おやべホワイトラーメン市内で出されるご当地ラーメン
見どころ・祭り
- 倶利伽羅峠源平合戦の古戦場。石川県との境
- クロスランドおやべ展望台から砺波平野の散居村を一望できる
- メルヘン建築昭和後期に建てられた洋風の公共建築
- 石動曳山祭毎年4月29日・30日に行われる祭り
- 宮島峡渓谷と宮島温泉
木宮島杉花ハナショウブ(花木は紅梅)小矢部市の木・花
小矢部市のなりたち
小矢部市(おやべし)は、富山県砺波地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、15の町村がありました。宮島村・南谷村・荒川村・子撫村・正得村・松沢村・埴生村・藪波村・水島村・津沢町・北蟹谷村・東蟹谷村・西野尻村・若林村・石動町です。これらの町村が、5回の合併や編入を経て、今の小矢部市になりました。
今の名前「小矢部市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの15の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の北蟹谷村が約23km²だったのに対し、今の小矢部市は約135km²と、およそ5.8倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は西砺波郡に属していました。
消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧石動町の区域には石動駅(あいの風とやま鉄道線)があります。
「小矢部市」という名前
市の名前は、市の中を流れる小矢部川からとられました。1962年(昭和37年)に石動町と砺中町が合併して市になるとき、市の中を流れるこの川の名前が新しい市の名前になりました。小矢部川は砺波平野の西側を北へ流れ、高岡市で富山湾に注ぐ川です。「小矢部」という言葉がもともと何を意味していたのかは、はっきりしていません。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行で、いまの市域には石動町・津沢町と13の村が生まれました。石動は北陸街道の宿場町として栄えた町です。1896年に礪波郡が東西に分かれ、これらの町村は西礪波郡に属しました。
昭和の大合併では、1953年(昭和28年)9月10日に石動町と宮島村・子撫村・南谷村・埴生村・正得村・松沢村・荒川村が合併し、新しい石動町が生まれました。翌1954年7月には津沢町・藪波村・水島村が合併して砺中町が発足しています。同じ年の10月に北蟹谷村が石動町に編入され、11月には砺中町が東蟹谷村と合併しました。1957年には西野尻村と若林村が分割され、その一部がそれぞれ砺中町と石動町に加わりました。
1962年(昭和37年)8月1日、石動町と砺中町が合併して小矢部市が発足しました。合併には旧砺中町の津沢・水島地区で強い反対がありました。市の西のはしは倶利伽羅峠で、石川県と接しています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、礪波郡に石動町・津沢町と宮島村・子撫村・南谷村・埴生村・正得村・松沢村・荒川村・若林村・北蟹谷村・東蟹谷村・藪波村・水島村・西野尻村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年郡制の施行により礪波郡が東西に分かれ、これらの町村は西礪波郡に属した。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1953年9月10日昭和28年西礪波郡の石動町・南谷村・埴生村・松沢村・正得村・荒川村・子撫村・宮島村が合併し、新たに石動町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年7月20日昭和29年西礪波郡の津沢町・藪波村・水島村が合併し、砺中町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1954年10月1日昭和29年西礪波郡北蟹谷村が石動町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1954年11月18日昭和29年西礪波郡の砺中町・東蟹谷村が合併し、新たに砺中町が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1957年8月1日昭和32年西礪波郡西野尻村が分割され、興法寺などの区域が砺中町に、残りが福光町と東礪波郡福野町に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1957年9月30日昭和32年西礪波郡若林村が分割され、金屋本江・水牧などの区域が石動町に、狐島などの区域が砺波市に編入された。種類:分割 出典:Wikipedia
- 1962年8月1日昭和37年西礪波郡の石動町・砺中町が合併し、小矢部市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。