今の朝日町
富山県の東の端にある下新川郡の町で、東は新潟県糸魚川市、南は長野県白馬村と接しています。北は日本海に面し、南東には白馬岳や朝日岳などの北アルプスがそびえます。小川・笹川・境川などの川が山から海へ流れます。海岸はヒスイの拾える砂利浜として知られ、北陸街道の宿場や関所が置かれた歴史のある町です。
今の朝日町の区域の人口は、2020年の国勢調査で11,081人です。今の区域で数えた1980年の18,631人とくらべると40.5%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は44.6%です。
主な産業:米・アスパラガスなどの農業と漁業、工場での製造業が営まれています。
特産品・名産
- ばたばた茶発酵茶を茶筅で泡立てて飲む伝統の茶
- たら汁漁師料理がもとのスケトウダラの味噌汁
- 蛭谷和紙町内で受け継がれる手すきの和紙
見どころ・祭り
- 宮崎・境海岸(ヒスイ海岸)ヒスイの拾える砂利浜。日本の渚百選
- あさひ舟川「春の四重奏」桜並木とチューリップ・菜の花と北アルプス
- 宮崎鹿島樹叢海沿いの原始林。国の天然記念物
- 小川温泉小川の上流にある山あいの温泉
- 宮崎城跡県指定の史跡
木ヒメコマツ(姫小松)花ツツジ朝日町の木・花
朝日町のなりたち
朝日町(あさひまち)は、富山県新川地域の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、8の町村がありました。境村・宮崎村・泊町・五箇庄村・南保村・大家庄村・山崎村・野中村です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の朝日町になりました。
今の名前「朝日町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの8の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の南保村が約140km²だったのに対し、今の朝日町は約224km²と、およそ1.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は下新川郡に属していました。
「朝日町」という名前
町名は、町の南東にそびえる北アルプスの朝日岳にちなみます。1954年(昭和29年)8月1日に泊町と6つの村が合併したとき、これから発展していく町にふさわしい名として、この山の名が選ばれました。朝日岳は標高2,418メートルで、町を流れる小川や笹川などの川は、この山々から日本海へ注いでいます。山の名そのものの由来ははっきりしていません。
まちの成り立ち
1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行で、今の町域には下新川郡の泊町と、境村・宮崎村・五箇庄村・南保村・大家庄村・山崎村・野中村が生まれました。泊は北陸街道の宿場町で、境には越後との国境を守る関所が置かれていました。
昭和の大合併では、1954年(昭和29年)8月1日に泊町・山崎村・大家庄村・南保村・五箇庄村・宮崎村・境村の1町6村が合併し、朝日町が発足しました。これらの町村は、暮らしの習わしや文化に共通するところが多い地域でした。同じ年の11月20日には野中村が朝日町に編入されました。
野中村では、朝日町と舟見町のどちらと一緒になるかで意見が分かれていました。1959年(昭和34年)1月1日、旧野中村の大字野中などの区域が舟見町に移り、舟見町は同じ日に入善町へ編入されました。こうして今の町の境が決まりました。
合併したころ2万4千人を超えていた人口は、その後減りました。今は自然と文化を生かした町づくりが進められています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、下新川郡に泊町・境村・宮崎村・五箇庄村・南保村・大家庄村・山崎村・野中村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1954年8月1日昭和29年下新川郡の泊町・境村・宮崎村・五箇庄村・南保村・大家庄村・山崎村が合併して朝日町が発足した。種類:新設合併 出典:www.town.asahi.toyama.jp
- 1954年11月20日昭和29年下新川郡野中村が朝日町に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
- 1959年1月1日昭和34年朝日町のうち旧野中村の大字野中・島迷・今江・二ツ屋・西中・林尻・古畑と中沢・藤塚・下野の各一部が舟見町に編入された。種類:一部編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。