今の日南町
鳥取県の南西部、中国山地の中にある町で、島根県・岡山県・広島県と接しています。日野川の源流域にあたり、面積の約9割を森林が占めます。県内で2番目に広い町です。米やトマトなどの農業と林業が盛んで、船通山の大きなイチイの木は国の天然記念物です。中国山地の山々に囲まれ、冬は雪が多い地域です。
今の日南町の区域の人口は、2020年の国勢調査で4,196人です。今の区域で数えた1980年の8,889人とくらべると52.8%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は52.2%です。
主な産業:米やトマトの農業と、スギ・ヒノキの林業が盛んです。
特産品・名産
- 日南トマト雨よけハウスで作られるトマト
- 米山あいの寒暖差のある田で作られる
- 木材スギやヒノキの人工林から出る材
見どころ・祭り
- 船通山山頂近くの「船通山のイチイ」は国の天然記念物
- 福万来のホタルヒメボタルとゲンジボタルが見られる
- 聖滝大小4段の滝。遊歩道がある
- 神宮寺藤の名所の古い寺
- 伯州銀山中石見にあった銀山の跡
木イチイ花サツキ日南町の木・花
日南町のなりたち
日南町(にちなんちょう)は、鳥取県西部の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、8の町村がありました。霞村・宮内村・山上村・大宮村・阿毘縁村・石見村・多里村・福栄村です。これらの町村が、6回の合併や編入を経て、今の日南町になりました。
今の名前「日南町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの8の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の多里村が約72km²だったのに対し、今の日南町は約337km²と、およそ4.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は日野郡に属していました。
「日南町」という名前
「日南」は、日野郡の南部に位置することにちなむ町名です。1959年(昭和34年)に、日野郡の南部にあった伯南町・高宮村・多里村・石見村・福栄村が合わさって町が生まれたとき、日南町と名づけられました。日野川の源流にあたる山あいの町で、郡名のとおり日野郡の南に広がっています。
まちの成り立ち
日南町は、日野川の源流にあたる山あいの町です。豊かな森林は、江戸時代から大正のころまで、たたら製鉄に使う木炭の供給地でした。中石見には伯州銀山と呼ばれた銀山もありました。
1889年(明治22年)10月1日の町村制で、日野郡に石見村・福栄村・多里村・山上村・霞村・宮内村など10の村が発足しました。1912年(大正元年)に福成村が石見村と合わさり、1917年に菅沢村と印賀村が大宮村に、1921年に霞村と宮内村が日野上村になりました。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)5月20日に日野上村と山上村が合わさって伯南町が、6月30日に大宮村と阿毘縁村が合わさって高宮村が生まれました。1959年(昭和34年)4月1日、伯南町・高宮村・多里村・石見村・福栄村の1町4村が合わさって、日南町が生まれました。平成の大合併では周りと合わさらず、今も単独の町です。
町の産業の中心は農林業です。戦後はスギやヒノキが多く植えられ、昭和30年代に始まったトマトの栽培は、雨よけハウスの導入で町全体に広がりました。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、日野郡に石見村・福成村・福栄村・多里村・山上村・霞村・宮内村・菅沢村・印賀村・阿毘縁村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1912年12月28日大正元年日野郡の福成村と石見村が合併し、改めて石見村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1917年12月1日大正6年日野郡の菅沢村と印賀村が合併し、大宮村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1921年12月1日大正10年日野郡の霞村と宮内村が合併し、日野上村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年5月20日昭和30年日野郡の日野上村と山上村が合併し、伯南町が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年6月30日昭和30年日野郡の大宮村と阿毘縁村が合併し、高宮村が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1959年4月1日昭和34年日野郡の伯南町・高宮村・多里村・石見村・福栄村が合併し、日南町が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。