今の南部町
鳥取県の西部にあり、島根県と接する町です。南に鎌倉山などの山地があり、北の手間要害山との間に平地や丘陵が広がります。法勝寺川が流れ、賀祥ダムのダム湖の緑水湖があります。水田と、柿・梨・いちじくの果樹園が広がり、町の東には花の公園のとっとり花回廊があります。県内でも古墳の多い地域です。
今の南部町の区域の人口は、2020年の国勢調査で10,323人です。今の区域で数えた1980年の12,472人とくらべると17.2%減り、人口は1985年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は37.6%です。
主な産業:稲作と、柿・梨・いちじくなどの果樹栽培を中心とする農業です。
特産品・名産
- 柿町の特産物の果物
- 梨町の特産物の果物
- いちじく町の特産物の果物
見どころ・祭り
- とっとり花回廊大山を望む花の公園
- 法勝寺城址中世の城跡
- 緑水湖賀祥ダムのダム湖
- 赤猪岩神社町内の神社
- 一式飾り4月に法勝寺地区で行われる行事
花さくら鳥ブッポウソウ南部町の花・鳥
南部町のなりたち
南部町(なんぶちょう)は、鳥取県西部の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、7の町村がありました。天津村・大国村・法勝寺村・東長田村・上長田村・手間村・賀野村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の南部町になりました。
今の名前「南部町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの7の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の上長田村が約28km²だったのに対し、今の南部町は約113km²と、およそ4.0倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は西伯郡に属していました。
「南部町」という名前
「南部」は、西伯郡の南の地域をさす呼び名です。西伯町・会見町の旧村に、今の米子市や伯耆町に入った村を加えた11の村の一帯が、古くから「南部」と呼ばれていました。2004年(平成16年)に西伯町と会見町が合わさったとき、この地域の呼び名が新しい町の名に選ばれました。
まちの成り立ち
南部町は、鳥取県の西部で島根県と接する町です。県内でも古墳の多い地域で、大国主命の神話にちなむ史跡や地名が数多くあります。北には戦国時代の山城、手間要害の跡が残ります。
1889年(明治22年)10月1日の町村制で、会見郡に天津村・大国村・法勝寺村・東長田村・上長田村・手間村・賀野村などが発足しました。1896年の郡の再編で西伯郡に入ります。
昭和の大合併では、1955年(昭和30年)3月30日に天津村・大国村・法勝寺村・東長田村・上長田村が合わさって西伯町が生まれました。翌日、幡郷村の諸木の地区が手間村に編入され、4月25日には手間村と賀野村が合わさって会見町が生まれました。
2000年(平成12年)10月6日の鳥取県西部地震では、両町で大きなゆれを観測しました。2004年(平成16年)10月1日、西伯町と会見町が合わさって南部町が生まれました。町は「桜と蛍の舞う町」を掲げ、花にさくら、鳥にブッポウソウを選んでいます。
年表
- 1889年10月1日明治22年町村制の施行により、会見郡に天津村・大国村・法勝寺村・東長田村・上長田村・手間村・賀野村・幡郷村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年郡の再編により、会見郡が汗入郡とあわせて西伯郡になった。種類:郡の変更 出典:www.pref.tottori.lg.jp
- 1955年3月30日昭和30年西伯郡の天津村・大国村・法勝寺村・東長田村・上長田村が合併し、西伯町が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年3月31日昭和30年西伯郡幡郷村が分かれ、諸木の地区が手間村に編入された(残りは岸本町の発足に加わった)。種類:一部編入 出典:Wikipedia
- 1955年4月25日昭和30年西伯郡の手間村と賀野村が合併し、会見町が生まれた。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 2004年10月1日平成16年西伯郡の西伯町と会見町が合併し、南部町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.town.nanbu.tottori.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。