今の西東京市
多摩地域の東部、武蔵野台地にあるまちです。2001年に田無市と保谷市が合併して発足しました。青梅街道の宿場から続く田無の商業地と、農村や新田から住宅地へ変わった保谷の地域が一つになっています。市街地には農地も残り、キャベツや小松菜、梨が栽培されています。田無神社や下野谷遺跡、玉川上水の緑など、歴史と自然に触れる場所もあります。
今の西東京市の区域の人口は、2020年の国勢調査で207,388人です。今の区域で数えた1980年の158,235人とくらべると31.1%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は24.0%です。
主な産業:商業・サービス業と製造業が営まれ、キャベツや梨などの都市農業も残ります。
特産品・名産
- 保谷梨保谷地域に受け継がれる梨
- キャベツ市内で栽培が盛んな野菜
- 小松菜市内の農地で育てる葉物野菜
見どころ・祭り
- 田無神社田無の歴史を伝える神社
- 下野谷遺跡縄文時代の集落の遺跡
- 玉川上水武蔵野の歴史と緑を伝える上水
花つつじ、ひまわり、コスモス、すいせん木けやき、はなみずき西東京市の花・木
西東京市のなりたち
西東京市(にしとうきょうし)は、東京都多摩地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、2の町村がありました。保谷村・田無町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の西東京市になりました。
今の名前「西東京市」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの2の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の保谷村が約9km²だったのに対し、今の西東京市は約16km²と、およそ1.7倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は北多摩郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北多摩郡は1970年(昭和45年)11月3日に廃止されました。
「西東京市」という名前
「西東京」は、田無市と保谷市の合併に向けて、公募と市民意向調査を経て選ばれた名前です。候補を絞り込んだ後、2000年7月30日の投票方式の調査で、五つの名称の中から最も多くの票を集めました。合併協議会はその結果を受けて新市名を決定し、2001年1月21日に西東京市が発足しました。田無・保谷の二つのまちの歴史を、新しい市名が結んでいます。
まちの成り立ち
西東京市は、青梅街道の宿場として栄えた田無と、武蔵野の農村や新田から発展した保谷が合併して生まれました。田無は周辺地域の商業の拠点でもあり、保谷では江戸時代の新田開発が進められました。田無は1879年に町となり、1889年の町村制でも田無町として発足しました。同年には上保谷・下保谷・上保谷新田の三村が合併し、埼玉県の保谷村が生まれました。
田無町は1893年に神奈川県から東京府へ移管されました。一方、保谷村が東京府北多摩郡へ移されたのは1907年です。昭和期には鉄道の開通や工場の進出がまちを変え、1940年11月10日には保谷町が誕生しました。戦後は都営住宅や公団住宅が建設され、住宅都市として人口が増加しました。
田無町と保谷町は、いずれも1967年1月1日に市制を施行しました。両市は合併協議と市民意向調査を経て、2001年1月21日に西東京市となりました。市内にはキャベツや小松菜、梨を育てる農地が残ります。下野谷遺跡や田無神社、玉川上水沿いの緑などが、二つのまちから受け継いだ地域の歴史と自然を伝えています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、神奈川県北多摩郡田無町と、上保谷村・下保谷村・上保谷新田が合併した埼玉県保谷村が発足した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1893年4月1日明治26年北多摩郡田無町が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1896年保谷村が埼玉県北足立郡に属することとなった。種類:郡の変更 出典:www.city.nishitokyo.lg.jp
- 1907年4月1日明治40年保谷村が埼玉県から東京府北多摩郡へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1940年11月10日昭和15年保谷村が町制を施行し、保谷町となった。種類:町制施行 出典:www.city.nishitokyo.lg.jp
- 1967年1月1日昭和42年田無町と保谷町がそれぞれ市制を施行し、田無市と保谷市となった。種類:市制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 2001年1月21日平成13年田無市と保谷市が合併し、西東京市が生まれた。種類:新設合併 出典:www.city.nishitokyo.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/syokai/symbol/yurai.html
- www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/syokai/ayumi/nenpyo_hoya.html
- www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/syokai/ayumi/nenpyo_tanasi.html
- www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/syokai/ayumi/oitati_tanasi.html
- www.city.nishitokyo.lg.jp/kosodate/kids/syokai/ayumi/ayumi1.html
- www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/sesaku_keikaku/kakusyuresearch/sangyou/2022
- www.tokyo-mayors.jp/cmsfiles/contents/0000000/69/north_tama.pdf
- www.city.nishitokyo.lg.jp/siseizyoho/tokei/toukeisyo/55024420230424091714946.fil