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清瀬市きよせし

清瀬市がたどってきた合併の歴史です。

1町村から

今の清瀬市

多摩地域の北東部、武蔵野台地に位置するまちです。柳瀬川や空堀川、雑木林と農地が身近にあり、にんじんやほうれん草などの農業が営まれています。清瀬駅の開業や療養施設の集積を経て発展し、現在も医療・福祉施設と関連する高等教育機関が集まります。金山緑地公園や柳瀬川の水辺、郷土博物館では、地域の自然と暮らしの歴史に触れられます。

今の清瀬市の区域の人口は、2020年の国勢調査で76,208人です。今の区域で数えた1980年の61,913人とくらべると23.1%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は28.9%です。

76,208人人口(2020年)
+23.1%1980年からの増減
10.23km²面積(国土地理院)
7,449人/km²人口密度
28.9%65歳以上の割合
76,2081980199020052020
15歳未満 11.7%15〜64歳 59.4%65歳以上 28.9%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:医療・福祉関連の施設が集積し、にんじんなどを育てる都市農業も盛んです。

特産品・名産

  • にんじん清瀬を代表する根菜
  • ほうれん草市内で栽培が盛んな葉物野菜
  • 里芋市内で栽培される根菜

見どころ・祭り

  • 清瀬市郷土博物館清瀬の歴史や民俗を紹介する施設
  • 清瀬金山緑地公園柳瀬川に近い緑豊かな公園
  • 柳瀬川桜並木や野草が見られる川沿い

花サザンカ木ケヤキ鳥オナガ清瀬市の花・木・鳥

清瀬市のなりたち

清瀬市(きよせし)は、東京都多摩地域の市です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では清瀬村でした。

1920年の時点で、この区域の町村は北多摩郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北多摩郡は1970年(昭和45年)11月3日に廃止されました。

11920年の町村の数
1回合併・編入の回数
10km²今の面積
1893年いちばん新しい合併

「清瀬市」という名前

「清瀬」は、旧上清戸村・中清戸村・下清戸村に共通する清戸の「清」と、柳瀬川の「瀬」を組み合わせたという説があります。清戸には、日本武尊が日枝神社の柊の根元で休み、「清き土」と述べたことにちなむという伝承も残ります。1889年に六村と下里村の飛地から清瀬村が生まれ、1954年の町制、1970年の市制へと名前が受け継がれました。

まちの成り立ち

清瀬には柳瀬川や空堀川が流れ、武蔵野の雑木林と畑が広がる土地で人々の暮らしが営まれてきました。清戸の地名には日本武尊にまつわる伝承があり、上清戸・中清戸・下清戸などの村名に受け継がれました。1889年4月1日、上清戸・中清戸・下清戸・清戸下宿・中里・野塩の六村と下里村の飛地から、神奈川県北多摩郡清瀬村が発足しました。1893年4月1日には東京府へ移管されました。

1924年に武蔵野鉄道の清瀬駅が開業すると、鉄道を通じた人の往来が増えました。1931年には東京府立清瀬病院が開設され、その後も結核の療養施設が集まりました。1954年4月5日に清瀬町となり、1964年から1970年にかけての町名変更では松山・竹丘・梅園・元町・旭が丘などの名前が生まれました。1970年10月1日には市制を施行しています。

市街地が発展した後も農業が営まれ、にんじんやほうれん草、里芋などが栽培されています。医療・福祉施設と関連する高等教育機関が集まり、1985年に開館した郷土博物館や柳瀬川沿いの緑地とともに、農村と療養のまちから続く歴史を伝えています。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、上清戸村・中清戸村・下清戸村・清戸下宿・中里村・野塩村と下里村の飛地から神奈川県北多摩郡清瀬村が発足した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
  2. 1893年4月1日明治26年北多摩郡清瀬村が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
  3. 1954年4月5日昭和29年清瀬村が町制を施行し、清瀬町となった。種類:町制施行 出典:www.city.kiyose.lg.jp
  4. 1970年10月1日昭和45年清瀬町が市制を施行し、清瀬市となった。種類:市制施行 出典:www.city.kiyose.lg.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

清瀬村→清瀬町→清瀬市1889〜今

参考にした資料