今の東村山市
八国山や淵の森、北山公園などの緑を持つ、武蔵野台地のまちです。正福寺地蔵堂、下宅部遺跡、鎌倉古街道などに古い歴史が残ります。近郊農村から住宅都市へ成長し、梨やブドウの農業、酒造や食品・機械の工場も営まれます。武蔵野うどんなどの食文化とともに、野火止用水や寺社、公園の緑が身近な暮らしの風景を形づくっています。
今の東村山市の区域の人口は、2020年の国勢調査で151,815人です。今の区域で数えた1980年の119,363人とくらべると27.2%ふえ、人口は2010年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は27.4%です。
主な産業:機械や食品などの製造業、商業・サービス業、梨・ブドウの農業が営まれます。
特産品・名産
- 多摩湖梨地域で育てられる農産物
- 多摩湖ぶどう地域で育てられる農産物
- 武蔵野うどん地域で親しまれるうどん
見どころ・祭り
- 正福寺地蔵堂国宝に指定された中世の建物
- 八国山緑地丘陵の緑にふれる都立緑地
- 北山公園菖蒲田のある公園
花ツツジ木ケヤキ鳥ハクセキレイ東村山市の花・木・鳥
東村山市のなりたち
東村山市(ひがしむらやまし)は、東京都多摩地域の市です。今の区域の大部分は、1920年(大正9年)の時点では東村山村でした。
1920年の時点で、この区域の町村は北多摩郡に属していました。郡は今は住所の表し方などに残るだけの区分ですが、町村がすべて市に入ったり合併したりして、北多摩郡は1970年(昭和45年)11月3日に廃止されました。
「東村山市」という名前
東村山の名は、村山地域の東にあることからつけられたとされます。1889年に野口・廻田・久米川・大岱・南秋津の五村がまとまり、東村山村が生まれました。村名は1942年の町制、1964年の市制を経ても受け継がれ、広い村山地域との位置関係を示す名前として、武蔵野の村々から成長した都市に残っています。
まちの成り立ち
東村山には八国山や淵の森などの緑があり、武蔵野台地の景観の中に古い時代の歴史が重なっています。下宅部遺跡や正福寺地蔵堂、鎌倉古街道、久米川の古戦場などが、先史から中世に至る土地の歩みを伝えています。北山公園や狭山公園など、水辺と緑にふれる場所もあります。
江戸時代には野火止用水が開かれ、原野の開拓が進みました。1889年には野口・廻田・久米川・大岱・南秋津の五村が合わさり、神奈川県に属する東村山村が発足しました。1893年4月1日に東京府へ移され、1942年4月1日には東村山町となりました。戦後には交通の便利さを背景に住宅が増え、1964年4月1日に市制を施行しました。近郊の農村から住宅都市へと変化したまちです。
地域では梨やブドウを育てる農業が続き、武蔵野うどんや黒焼きそばなどの食文化も育まれています。酒造やソースなどの食品製造、機械に関わる工場も地域の仕事に挙げられます。住宅地の中には野火止用水や古街道、寺社の歴史が残り、八国山や公園の緑へつながります。農村の歩みと住宅都市への発展、ものづくりや食文化の営みが、武蔵野の自然と古い文化財のある景観に重なっています。
年表
- 1889年野口村・廻田村・久米川村・大岱村・南秋津村がまとまり神奈川県の東村山村が発足した。種類:町村制 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1893年4月1日明治26年東村山村が神奈川県から東京府へ移管された。種類:県境を越えた編入 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1942年4月1日昭和17年東村山村が町制を施行し東村山町となった。種類:町制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
- 1964年4月1日昭和39年東村山町が市制を施行し東村山市となった。種類:市制施行 出典:www.tokyo-mayors.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。