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足利市あしかがし

1920年には15の町村だった区域が、9回の合併・編入を経て、今の足利市になりました。

15町村から
系譜図:帯は町村が続いた期間、曲線は合わさった先。帯を押すとそのまちへ、なぞると地図で光ります。

今の足利市

栃木県南西部、渡良瀬川の両岸に広がるまちです。北側には山地、南側には平野があり、旧町の市街地と周辺の農村がつながっています。織物の産地としての歴史を持ち、現在もさまざまな製造業が立地しています。足利学校や鑁阿寺など、古い学問と足利氏に関わる史跡が市街地に残ります。両毛線と東武伊勢崎線が川の両側を結び、川沿いの景観と、山あいの集落、平野の住宅地が組み合わさったまちです。

今の足利市の区域の人口は、2020年の国勢調査で144,746人です。今の区域で数えた1980年の165,756人とくらべると12.7%減り、人口は1990年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は32.9%です。

144,746人人口(2020年)
−12.7%1980年からの増減
178.3km²面積(概算)
812人/km²人口密度
32.9%65歳以上の割合
167,6861980199020052020
15歳未満 10.6%15〜64歳 56.5%65歳以上 32.9%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:繊維産業の歴史を持ち、製造業や商業が営まれています。

特産品・名産

  • 足利シュウマイ肉を使わず、玉ねぎと片栗粉で作る名物。
  • ポテト入り焼きそばじゃがいもを加えた地域の焼きそば。
  • 巨石せんべい名草巨石群に名をちなむ薄焼きせんべい。

見どころ・祭り

  • 足利学校日本の古い学問の歴史を伝える国指定史跡。
  • 鑁阿寺足利氏の居館跡に建つ寺院。
  • あしかがフラワーパーク大藤や四季の花を展示する庭園。

木イチョウ花フジ鳥カルガモ足利市の木・花・鳥

足利市のなりたち

足利市(あしかがし)は、栃木県県南地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、15の町村がありました。毛野村・山辺村・三重村・山前村・北郷村・梁田村・久野村・筑波村・三和村・小俣村・葉鹿村・富田村・矢場川村・御厨村・足利町です。これらの町村が、9回の合併や編入を経て、今の足利市になりました。

今の名前「足利市」は、1920年にあった足利町の名前を受け継いでいます。ほかの14の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。

面積は、1920年の足利町が約9km²だったのに対し、今の足利市は約178km²と、およそ19.2倍になりました。

1920年の時点で、この区域の町村は群馬県山田郡・足利郡に属していました。

この区域には、もとは栃木県ではなかった土地も含まれています。群馬県の矢場川村がそれで、県境を越えた合併(越境合併)によって栃木県に加わりました。

消えた町村の名前は、駅の名前に見ることができます。旧三重村の区域には三重駅(両毛線)があります。旧山前村の区域には山前駅(両毛線)があります。旧小俣村の区域には小俣駅(両毛線)があります。旧葉鹿村の区域には葉鹿駅(両毛線)があります。旧富田村の区域には富田駅(両毛線)があります。

151920年の町村の数
9回合併・編入の回数
178km²今の面積
1962年いちばん新しい合併

「足利市」という名前

足利市の名前は、旧足利町から引き継いだものです。足利という古い地名の語源には、アシなどの植物に結び付ける説をはじめ、複数の説明があります。足利という地名は、古くから使われてきました。町村制後の足利町が1921年に市制を施行し、同じ名前の足利市となりました。昭和に周辺町村を編入して市域が広がった後も、この名前を使い続けています。

まちの成り立ち

足利は、渡良瀬川沿いの町場と、周囲の平野や山あいの村々が段階的にまとまったまちです。1889年には足利町、毛野村、北郷村、坂西村、小俣村などが発足しました。渡良瀬川の南側には梁田郡の山辺村や御厨村などがあり、1896年に足利郡へ所属が変わりました。

明治には坂西村が三重村と山前村に分かれ、小俣村から葉鹿村も分かれました。1921年には足利町が市となり、御厨村は町となりました。翌年には北郷村から名草村が分立し、小俣村と葉鹿村も1923年に町制を施行しました。現在の市につながる地域では、市や町への移行だけでなく、村の分割も起きています。

足利市は1951年に毛野村、1953年に山辺町を編入しました。1954年には三重村・山前村・北郷村・名草村、1959年には富田村が加わりました。一方、1955年には周辺の町村が御厨町と坂西町にまとまりました。1960年には群馬県矢場川村の一部が県境を越えて入り、1962年に御厨町と坂西町を編入しました。こうした段階を経て現在の市域が整い、平成の大合併では新たな合併を行っていません。

年表

  1. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、足利町・毛野村・北郷村・坂西村・富田村・三和村・小俣村、梁田郡の山辺村・御厨村・筑波村・梁田村・久野村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  2. 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、群馬県邑楽郡に矢場川村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
  3. 1893年4月明治26年坂西村が分かれ、三重村と山前村が生まれた。種類:分割 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  4. 1893年6月明治26年小俣村が分かれ、葉鹿村と新たな小俣村が生まれた。種類:分割 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  5. 1896年4月1日明治29年梁田郡が足利郡と統合され、山辺村・御厨村・筑波村・梁田村・久野村の所属郡が足利郡に変わった。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
  6. 1921年1月1日大正10年足利町が市制を施行し、足利市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  7. 1921年4月1日大正10年御厨村が町制を施行し、御厨町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  8. 1922年4月1日大正11年北郷村の一部(名草)が分立し、名草村が生まれた。種類:分割 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  9. 1923年1月1日大正12年小俣村と葉鹿村がそれぞれ町制を施行し、小俣町と葉鹿町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  10. 1938年4月1日昭和13年山辺村が町制を施行し、山辺町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
  11. 1951年3月30日昭和26年毛野村が足利市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  12. 1953年4月1日昭和28年山辺町が足利市に編入された。種類:編入 出典:www.city.ashikaga.tochigi.jp
  13. 1954年8月1日昭和29年三重村と山前村が足利市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  14. 1954年11月1日昭和29年北郷村と名草村が足利市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  15. 1955年3月31日昭和30年御厨町・筑波村・梁田村・久野村が合併し、新たな御厨町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  16. 1955年3月31日昭和30年三和村・小俣町・葉鹿町が合併し、坂西町が生まれた。種類:新設合併 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  17. 1959年4月1日昭和34年富田村が足利市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  18. 1960年7月1日昭和35年群馬県矢場川村の一部が足利市に編入された。種類:県境を越えた編入 出典:www.pref.tochigi.lg.jp
  19. 1962年10月1日昭和37年御厨町と坂西町が足利市に編入された。種類:編入 出典:www.pref.tochigi.lg.jp

今の区域にあった町村

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

足利町→足利市1889〜今
御厨村→御厨町1889〜1962
梁田村1889〜1955
久野村1889〜1955
筑波村1889〜1955
坂西町1955〜1962
三和村1889〜1955
小俣村→小俣町1889〜1955同じ名前の駅:小俣駅
葉鹿村→葉鹿町1893〜1955同じ名前の駅:葉鹿駅
矢場川村1893〜1960群馬県から
富田村1889〜1959同じ名前の駅:富田駅
北郷村1889〜1954
名草村1922〜1954
三重村1893〜1954同じ名前の駅:三重駅
山前村1893〜1954同じ名前の駅:山前駅
山辺村→山辺町1889〜1953
毛野村1889〜1951

参考にした資料