今の伊東市
静岡県の最東部、伊豆半島の東岸中部にある相模灘に面したまちです。市域は火山の斜面や丘陵性の山地、天城火山の東北部、大室山と溶岩台地の伊豆高原などからなります。城ヶ崎は溶岩流と海食崖でできた海岸です。市街地は伊東大川の谷底低地から斜面へ広がり、戦後は別荘地や観光施設が増えて、温泉と観光を中心に発展してきました。
今の伊東市の区域の人口は、2020年の国勢調査で65,491人です。今の区域で数えた1980年の69,638人とくらべると6.0%減り、人口は2005年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は43.5%です。
主な産業:温泉を中心とした観光業のほか、漁業や柑橘類・茶の農業が営まれています。
特産品・名産
- 干物鮮魚とともに伊東の名産品
- 柑橘類みかんや甘夏などが作られる
- ぐり茶独特の製法で作る緑茶
見どころ・祭り
- 大室山伊豆高原にある市のシンボル。登山リフトがある
- 城ヶ崎海岸溶岩流と海食崖でできた海岸
- 旧木造温泉旅館東海館伊東温泉のシンボル的な保存建築
- 旧東郷家別邸東郷平八郎が晩年を過ごした別荘跡
- 木下杢太郎記念館生家で、市内最古の民家
木ツバキ花ツバキ鳥イソヒヨドリ伊東市の木・花・鳥
伊東市のなりたち
伊東市(いとうし)は、静岡県伊豆地域の市です。今の市の区域には、1920年(大正9年)の時点で、4の町村がありました。小室村・宇佐美村・対島村・伊東町です。これらの町村が、2回の合併や編入を経て、今の伊東市になりました。
今の名前「伊東市」は、1920年にあった伊東町の名前を受け継いでいます。ほかの3の町村の名前は、自治体の名前としては消えましたが、地区の名前や学校、駅などに残っていることが少なくありません。
面積は、1920年の伊東町が約31km²だったのに対し、今の伊東市は約122km²と、およそ3.9倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は田方郡に属していました。
「伊東市」という名前
「伊東」の名の由来ははっきりしていません。江戸時代の終わりには今の市域に15の村があり、伊東はその中心となる温泉の村でした。1889年(明治22年)の町村制で伊東村が生まれ、1906年(明治39年)に町制を施行して伊東町となります。1947年(昭和22年)に伊東町と小室村が合併して新しい市をつくったときも、伊東の名が市の名前として受け継がれました。
まちの成り立ち
伊東は、鎌倉時代の1261年(弘長元年)に日蓮が流された地として知られます。1605年(慶長10年)には、三浦按針(ウィリアム・アダムス)が唐人川の河口で西洋式の帆船を造りました。
1889年(明治22年)4月1日の町村制で、江戸時代の15の村が、賀茂郡の伊東村・小室村・対島村・宇佐美村の4村にまとまりました。1896年(明治29年)4月1日には、4村がそろって田方郡に移っています。伊東村は1906年(明治39年)1月1日に町制を施行して伊東町となりました。
1947年(昭和22年)8月10日、伊東町と小室村が合併して伊東市が生まれました。1955年(昭和30年)4月1日には対島村と宇佐美村が編入され、明治の4村の区域がすべて一つの市になっています。
戦後は温泉と別荘の開発が進み、1950年(昭和25年)には伊東国際観光温泉文化都市建設法が成立しました。1961年(昭和36年)には伊豆急行線が開通し、大室山のふもとの伊豆高原には別荘地や観光施設が広がっています。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、賀茂郡に伊東村・小室村・対島村・宇佐美村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1896年4月1日明治29年郡制の施行に向けて、伊東村・小室村・対島村・宇佐美村が賀茂郡から改めて設けられた田方郡に所属を変えた。種類:郡の変更 出典:Wikipedia
- 1906年1月1日明治39年田方郡伊東村が町制を施行して伊東町となった。種類:町制施行 出典:Wikipedia
- 1947年8月10日昭和22年田方郡の伊東町と小室村が合併し、伊東市が発足した。種類:新設合併 出典:Wikipedia
- 1955年4月1日昭和30年田方郡の対島村と宇佐美村が伊東市に編入された。種類:編入 出典:Wikipedia
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。