今の吉賀町
島根県の南西部、最南端に位置する町です。県の西の端にあたり、中国自動車道のインターチェンジがあります。1,263メートルの安蔵寺山をはじめ険しい山々に囲まれた中山間地域で、源流を持つ高津川と、その支流に沿って耕地が開けています。町域の大部分は日本海に流れる高津川の流域ですが、一部は瀬戸内海へ流れる川の流域です。
今の吉賀町の区域の人口は、2020年の国勢調査で6,077人です。今の区域で数えた1980年の9,415人とくらべると35.5%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は45.0%です。
主な産業:吉賀米・シイタケ・ワサビなどの農林業と、高津川のアユ漁があります。
特産品・名産
- 吉賀米高津川水系の水を使った米
- ワサビ旧柿木村で栽培されている
- 高津川のアユ毎年多くの釣り人が訪れる
見どころ・祭り
- 大井谷の棚田日本の棚田百選
- 柿木温泉加温あり、源泉掛け流しの温泉
- 木部谷温泉約25分間隔で自噴する間欠泉
- 長瀬峡名所・観光スポットとして挙がる渓谷
木コウヤマキ花ドウダンツツジ吉賀町の木・花
吉賀町のなりたち
吉賀町(よしかちょう)は、島根県石見の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、5の町村がありました。蔵木村・朝倉村・七日市村・柿木村・六日市村です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の吉賀町になりました。
今の名前「吉賀町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの5の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の柿木村が約135km²だったのに対し、今の吉賀町は約330km²と、およそ2.4倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は鹿足郡に属していました。
「吉賀町」という名前
「吉賀(よしか)」は、昔から六日市・柿木のあたりを呼んだ「吉賀郷」の名に由来します。この名には鹿の伝説が関わっています。伝説の悪い鹿(八つの角の鹿)がいた土地なので、逆に「善い鹿」として吉賀の字をあてたといわれます。また、郡名の「鹿足」を「足鹿(あしか)」と読みかえると「悪鹿」を思わせるので「善鹿(よしか)」にした、という説もあります。
まちの成り立ち
吉賀の地は、島根県のいちばん南西にあり、高津川の源流を抱く山あいの地域です。江戸時代には吉賀三領と呼ばれる上領・中領・下領に分かれ、六日市は主な街道の宿場町でした。1889年(明治22年)4月1日の町村制で、鹿足郡に柿木村・七日市村・朝倉村・六日市村・蔵木村が発足しました。六日市村は1947年(昭和22年)11月3日に町制を施行して六日市町となりました。1954年(昭和29年)12月1日、六日市町・朝倉村・蔵木村が合わさって改めて六日市町が発足し、1956年(昭和31年)9月30日には七日市村を編入しました。柿木村は、明治から平成まで合併をせずに続きました。2005年(平成17年)10月1日、六日市町と柿木村が合併し、古い郷の名をとって吉賀町が発足しました。町内には中国自動車道の六日市インターチェンジがあり、島根県の西の玄関口になっています。大井谷の棚田や柿木温泉があり、高津川はアユ釣りの川として知られます。
年表
- 1889年4月1日明治22年町村制の施行により、鹿足郡に柿木村・七日市村・朝倉村・六日市村・蔵木村が発足した。種類:町村制 出典:Wikipedia
- 1947年11月3日昭和22年鹿足郡六日市村が町制を施行し、六日市町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.shimane.lg.jp
- 1954年12月1日昭和29年鹿足郡の六日市町・朝倉村・蔵木村が合併し、改めて六日市町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.shimane.lg.jp
- 1956年9月30日昭和31年鹿足郡七日市村が六日市町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.shimane.lg.jp
- 2005年10月1日平成17年鹿足郡の柿木村と六日市町が合併し、吉賀町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.shimane.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。