今の隠岐の島町
島根半島の北の日本海に浮かぶ隠岐諸島のうち、島後を占める町です。島後は大満寺山(608メートル)を最高峰とする山がちの島で、海岸近くまで山が迫ります。島の北端の白島海岸は国の天然記念物、北東端の浄土ヶ浦は国の名勝です。壇鏡の滝は日本の滝百選に選ばれました。国分寺や隠岐国の一の宮が置かれた島で、牛突きの本場所も開かれます。
今の隠岐の島町の区域の人口は、2020年の国勢調査で13,433人です。今の区域で数えた1980年の20,043人とくらべると33.0%減り、人口は1980年をピークに減っています。65歳以上の人の割合は41.5%です。
主な産業:好漁場の魚介類と、隠岐黒磯牛などの畜産物が島の産品です。
特産品・名産
- 隠岐黒磯牛牧草と環境で飼育される牛
- 魚介類好漁場で獲れる魚介
- 地酒島で作られている酒
見どころ・祭り
- 壇鏡の滝日本の滝百選。付近の湧水は名水百選
- ローソク島島後北西の海上に立つ海食柱
- 白島海岸島後北端の海岸。国の天然記念物
- 浄土ヶ浦島後北東端の国の名勝
- 玉若酢命神社隠岐国の総社だった神社
木スギ花オキシャクナゲ隠岐の島町の木・花
隠岐の島町のなりたち
隠岐の島町(おきのしまちょう)は、島根県隠岐の町です。今の町の区域には、1920年(大正9年)の時点で、8の町村がありました。中条村・東郷村・磯村・中村・五箇村・布施村・都万村・西郷町です。これらの町村が、3回の合併や編入を経て、今の隠岐の島町になりました。
今の名前「隠岐の島町」は、1920年にあったどの町村の名前とも違い、合併のときに新しくつけられた名前です。もとの8の町村の名前は、自治体の名前としてはすべて消えました。
面積は、1920年の五箇村が約52km²だったのに対し、今の隠岐の島町は約243km²と、およそ4.6倍になりました。
1920年の時点で、この区域の町村は周吉郡・隠岐郡に属していました。
「隠岐の島町」という名前
「隠岐の島町」の名は、2004年(平成16年)に島後の4町村が合わさるとき、全国から募った約4千の案の中から選ばれました。日本海の島であり、歴史や景色の面でも「隠岐の島」の名が全国にもっともよく知られていて、場所もわかりやすく親しみやすいことが理由です。「隠岐」は古代からの国の名で、沖にある島を意味する「沖の島」から変わったものといわれます。
まちの成り立ち
隠岐の島町は、隠岐諸島でいちばん大きな島である島後を区域としています。島後には隠岐国の国分寺が置かれ、一の宮とされる水若酢神社や、総社であった玉若酢命神社があります。古くから都の人が流される島でもありました。江戸時代は幕府の領地で、松江藩が預かって治めました。1868年(慶応4年)には島の人びとが松江藩の役人を追い出し、短い間ながら自分たちで島を治めた隠岐騒動が起こりました。1904年(明治37年)、隠岐に町村制が施行され、周吉郡に西郷町と5つの村、穏地郡に都万村と五箇村が発足しました。1954年(昭和29年)7月1日、西郷町・東郷村・中條村・磯村が合わさって改めて西郷町が発足し、1960年(昭和35年)11月1日には中村を編入しました。1969年(昭和44年)4月1日には、隠岐の4つの郡が一つになって隠岐郡が置かれました。2004年(平成16年)10月1日、西郷町・布施村・五箇村・都万村が合併して隠岐の島町が発足しました。島では、隠岐の牛突きなどの古い行事が今も続いています。
年表
- 1904年4月1日明治37年隠岐国に町村制が施行され、島後の周吉郡に西郷町・東郷村・布施村・中村・中條村・磯村が、穏地郡に都万村・五箇村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.shimane.lg.jp
- 1954年7月1日昭和29年周吉郡の西郷町・東郷村・中條村・磯村が合併し、改めて西郷町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.shimane.lg.jp
- 1960年11月1日昭和35年周吉郡中村が西郷町に編入された。種類:編入 出典:www.pref.shimane.lg.jp
- 1969年4月1日昭和44年周吉郡・穏地郡・海士郡・知夫郡の区域をもって隠岐郡が発足し、島後の町村は隠岐郡に属した。種類:郡の変更 出典:www.pref.shimane.lg.jp
- 2004年10月1日平成16年隠岐郡の西郷町・布施村・五箇村・都万村が合併し、隠岐の島町が発足した。種類:新設合併 出典:www.pref.shimane.lg.jp
今の区域にあった町村
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。