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浦添市うらそえし

浦添市は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている市です。

1町村から

今の浦添市

那覇市の北に接し、西は東シナ海に面するまちです。東部の丘陵には浦添グスクと浦添ようどれがあり、首里へ王都が移る前の歴史を伝えています。西側には国道58号沿いの商業地や事業所が集まり、内陸には住宅地が広がっています。沖縄都市モノレールの駅も置かれ、那覇と本島中部をつなぐ交通の要所です。国立劇場おきなわや市立美術館など、文化施設も立地しています。

今の浦添市の区域の人口は、2020年の国勢調査で115,690人です。今の区域で数えた1980年の70,282人とくらべると64.6%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は20.3%です。

115,690人人口(2020年)
+64.6%1980年からの増減
19.44km²面積(国土地理院)
5,951人/km²人口密度
20.3%65歳以上の割合
115,6901980199020052020
15歳未満 17.3%15〜64歳 62.4%65歳以上 20.3%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:幹線道路沿いに商業・サービス業や事業所が集まり、食品製造や物流も営まれています。

特産品・名産

  • 桑茶桑の葉を利用した市の特産品
  • うらそえ織浦添で製作される織物
  • 海ぶどう海で育てる食用の海藻

見どころ・祭り

  • 浦添城跡首里以前の王城の歴史を伝える史跡
  • 浦添ようどれ浦添グスクにある王陵
  • 浦添市美術館市の美術館として整備された文化施設
  • 国立劇場おきなわ沖縄の伝統芸能を伝える劇場

木ホルトノキ花オオバナアリアケカズラ浦添市の木・花

浦添市のなりたち

浦添市(うらそえし)は、沖縄県南部地方の市です。1920年(大正9年)の時点ですでに浦添村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい市です。

1920年の郡
中頭郡
11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
19km²今の面積

「浦添市」という名前

「浦添」は、古くは「うらおそい」と呼ばれた地名です。「浦々を襲う」、つまり港や海辺の地域を治めるという意味から、支配の中心地を表したとされます。浦添グスクのある丘陵には、首里に王都が移る前の王城がありました。市を「てだこの都市」と呼ぶのは、英祖王を「太陽の子」という意味の「てだこ」と敬称したことにちなみます。

まちの成り立ち

浦添は、首里へ王都が移る前に政治や交易の中心となった土地です。浦添グスクの周辺には王陵の浦添ようどれがあり、王城と集落が結びついた歴史が残ります。王都が首里へ移った後も、浦添と首里を結ぶ道が整えられ、王府とのつながりが続きました。

1908年(明治41年)4月1日、沖縄県及島嶼町村制により中頭郡浦添村となりました。沖縄戦では浦添グスク周辺の前田高地などが激戦地となり、集落や文化財も大きな被害を受けました。戦後は旧1号線、今の国道58号沿いに企業や工場が進出し、牧港・城間・屋富祖などで商業やサービス業が育っていきます。那覇に近い立地から住宅地も広がりました。

米軍統治下の1970年(昭和45年)7月1日、浦添村が市制を施行して浦添市となります。1972年(昭和47年)5月15日には沖縄の日本復帰を迎えました。2019年(令和元年)には沖縄都市モノレールの延伸により経塚・浦添前田・てだこ浦西の3駅が開業しました。

年表

  1. 1908年4月1日明治41年沖縄県及島嶼町村制により、中頭郡浦添村となった。種類:町村制 出典:www.pref.okinawa.jp
  2. 1970年7月1日昭和45年中頭郡浦添村が市制を施行し、浦添市となった。種類:市制施行 出典:www.pref.okinawa.jp
  3. 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰により、浦添市が沖縄県の市となった。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

浦添村→浦添市1908〜今

参考にした資料