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中城村なかぐすくそん

中城村は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている村です。

1町村から

今の中城村

沖縄本島中部の東海岸にあり、中城湾に面する村です。海沿いの農地から斜面、台地へと土地が続き、北側の高台には中城城跡があります。城壁からは中城湾や周囲の島々を見渡せます。島人参や島大根、サトウキビが特産で、古くからの農村の景観が残っています。村内には安里の寺やペリーの旗立岩などの史跡が点在し、世界遺産の城跡とともに地域の歴史を伝えています。

今の中城村の区域の人口は、2020年の国勢調査で22,157人です。今の区域で数えた1980年の10,346人とくらべると114.2%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は19.6%です。

22,157人人口(2020年)
+114.2%1980年からの増減
15.53km²面積(国土地理院)
1,427人/km²人口密度
19.6%65歳以上の割合
22,1571980199020052020
15歳未満 18.4%15〜64歳 62.0%65歳以上 19.6%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:島人参や島大根、サトウキビの栽培など、農業が営まれています。

特産品・名産

  • 島人参村の農業を代表する根菜
  • 島大根村の特産として挙げられる大根
  • サトウキビ村の特産として挙げられる作物

見どころ・祭り

  • 中城城跡高台に石垣を残す世界遺産の城跡
  • 安里の寺安里地区に伝わる拝所
  • ペリーの旗立岩ペリー一行の来訪を伝える岩
  • 伊舎堂前の3本ガジュマル伊舎堂の景観をつくるガジュマル

木リュウキュウコクタン花ハイビスカス中城村の木・花

中城村のなりたち

中城村(なかぐすくそん)は、沖縄県中部地方の村です。1920年(大正9年)の時点ですでに中城村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい村です。

1920年の郡
中頭郡
11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
16km²今の面積

「中城村」という名前

「中城」は「なかぐすく」と読み、王府時代の中城間切から続く名前です。中城城跡には間切を治める役場が置かれ、1908年に中城村となった後も村役場として使われました。1946年に北部が北中城村として分かれてからも、南側の村は中城の名を受け継いでいます。地名が生まれた詳しい経緯は、はっきりしていません。

まちの成り立ち

現在の中城村と北中城村は、かつて一つの中城間切を構成していました。1908年(明治41年)4月1日に島嶼町村制が施行され、中頭郡中城村となります。中城城跡の一の郭に置かれていた間切役場も村役場となり、城跡は地域の行政を担う場所であり続けました。

1945年(昭和20年)の沖縄戦で役場は焼失しました。戦後、久場から城跡、安谷屋にかけて米軍施設が設けられ、村の南部と北部を結ぶ交通が遮断されました。旧役場の再建も難しく、役場を移した場合には一方の地域が遠くなるため、村長と南北の住民代表が分村について協議しました。両地域の代表が申請書に名を連ね、沖縄民政府へ分村を求めました。1946年(昭和21年)5月20日、北部の12行政区が北中城村として分かれ、中城村は南側の区域で続いていくことになりました。

1972年5月15日には沖縄が日本へ復帰しました。中城城跡は両村にまたがる歴史の場所として受け継がれ、2000年12月には世界遺産に登録されました。分村から80年後の2026年5月20日、両村はこの城跡で「ちょーでー村」包括連携協定を結びました。共通する歴史や文化を持つ隣村として、住民サービスの向上などに向けて連携を進めています。

年表

  1. 1908年4月1日明治41年島嶼町村制の施行により、中城間切が中頭郡中城村となった。種類:町村制 出典:www.pref.okinawa.jp
  2. 1946年5月20日昭和21年中頭郡中城村の北部12行政区が分かれ、北中城村が発足した。種類:分割 出典:www.vill.kitanakagusuku.lg.jp
  3. 1972年5月15日昭和47年沖縄が日本に復帰し、中城村も日本の施政下に戻った。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

中城村1908〜今

参考にした資料