今の北中城村
沖縄本島中部にあり、東は中城湾に面する村です。海岸低地から台地や丘陵が広がり、国道329号や330号、沖縄自動車道が通っています。中城城跡や中村家住宅、荻堂貝塚など、さまざまな時代の歴史を伝える場所があります。海ではヒトエグサの養殖が行われ、ランやパッションフルーツも特産です。アワセゴルフ場の返還跡地にはライカム地区が生まれ、商業と交流の拠点になっています。
今の北中城村の区域の人口は、2020年の国勢調査で17,969人です。今の区域で数えた1980年の12,210人とくらべると47.2%ふえ、人口はいまもふえ続けています。65歳以上の人の割合は24.1%です。
主な産業:商業・観光が集まり、ランなどの園芸やヒトエグサ養殖も行われています。
特産品・名産
- ヒトエグサアーサとして親しまれる海藻
- ラン村の花にも選ばれた園芸作物
- パッションフルーツ村の特産として挙げられる果実
見どころ・祭り
- 中村家住宅沖縄の伝統的な屋敷構えを残す住宅
- 中城城跡中城村と共有する世界遺産の城跡
- 荻堂貝塚先史時代の暮らしを伝える貝塚
- 荻道・大城湧水群集落の暮らしを支えてきた湧き水
木リュウキュウコクタン花ラン北中城村の木・花
北中城村のなりたち
北中城村(きたなかぐすくそん)は、沖縄県中部地方の村です。
- 1920年の郡
- 中頭郡
「北中城村」という名前
「北中城」は、中城村の北部が分かれて新しい村となった際に使われた名前です。読み方は「きたなかぐすく」です。この地域は王府時代には中城間切の一部で、1908年からは中城村に属していました。1946年5月20日、旧中城村北部の12行政区をもって村が発足し、北中城村として歩み始めました。
まちの成り立ち
北中城の地域は、王府時代には中城間切の一部でした。1908年(明治41年)4月1日の島嶼町村制で中頭郡中城村となり、中城城跡の一の郭にあった間切役場も村役場へと変わりました。首里や那覇から移り住んだ人々による屋取集落も形成され、屋宜原や石平などの地域が生まれました。
1945年(昭和20年)の沖縄戦後、米軍施設の建設により村の南北の交通が遮断されました。中城城跡にあった役場も焼失し、村全体を一つの役場で運営することが難しくなります。南北の住民代表と村長が協議し、沖縄民政府へ分村を申請しました。1946年(昭和21年)5月20日、民政府指令第2号で分離が認められ、北部の12行政区をもって北中城村が発足しました。新しい村の役場は、仲順の大田病院内に置かれました。
1972年5月15日には沖縄が日本へ復帰しました。2010年にはアワセゴルフ場地区が返還され、その跡地に新しいまちが形成されていきます。2019年には字ライカムが誕生し、村の行政区は15地区となりました。分村から80年となる2026年5月20日には、中城村と「ちょーでー村」包括連携協定を結び、両村で協力する取り組みを進めています。
年表
- 1908年4月1日明治41年島嶼町村制の施行により、北中城地域を含む中城間切が中頭郡中城村となった。種類:町村制 出典:www.pref.okinawa.jp
- 1946年5月20日昭和21年中頭郡中城村の北部12行政区が分かれ、北中城村が発足した。種類:分割 出典:www.vill.kitanakagusuku.lg.jp
- 1972年5月15日昭和47年沖縄が日本に復帰し、北中城村も日本の施政下に戻った。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp
名前の歩み
帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。
参考にした資料
- www.vill.kitanakagusuku.lg.jp/material/files/group/6/dai5ji_soukei.pdf
- www.vill.kitanakagusuku.lg.jp/material/files/group/2/2022091502.pdf
- www.vill.kitanakagusuku.lg.jp/kakuka/soumu/soumukakari/317.html
- www.vill.nakagusuku.okinawa.jp/sonsei/shimaitoshi/1783039315/
- www.pref.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/039/562/r08_2-5.pdf
- www.archives.pref.okinawa.jp/event_information/past_exhibitions/934