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北谷町ちやたんちょう

北谷町は、1920年からほぼ同じ区域のまま続いている町です。

1町村から

今の北谷町

沖縄本島中部の西海岸にあり、東シナ海に面する町です。国道58号沿いの市街地から海辺の商業地区へまちが広がり、サンセットビーチやアラハビーチに沿って公園や宿泊施設が並びます。西海岸の返還地や埋立地を利用して商業・観光施設が集まり、周辺には住宅地も形成されました。米軍基地が町域の大きな部分を占め、アメリカ文化の影響を受けた街並みも特色です。

今の北谷町の区域の人口は、2020年の国勢調査で28,201人です。今の区域で数えた1980年の16,014人とくらべると76.1%ふえ、人口は2015年まではふえ、その後は少し減っています。65歳以上の人の割合は20.9%です。

28,201人人口(2020年)
+76.1%1980年からの増減
13.91km²面積(国土地理院)
2,027人/km²人口密度
20.9%65歳以上の割合
28,3081980199020052020
15歳未満 17.4%15〜64歳 61.7%65歳以上 20.9%
今の区域の人口(国勢調査)。各回の市町村の人口を、今の区域にまとめて集計(境界の一部の移動は含まない)。面積は国土地理院「全国都道府県市区町村別面積調」

主な産業:西海岸に集まる商業施設や宿泊施設を中心に、商業・観光業が営まれています。

特産品・名産

  • 泡盛町内の蔵元が造る蒸留酒
  • ちゃたんの塩町を代表する加工品
  • 水饅頭町の名産として挙げられる菓子

見どころ・祭り

  • サンセットビーチ美浜地区の海辺にあるビーチ
  • アラハビーチ海辺の公園と隣り合うビーチ
  • 北谷長老の墓郷土の歴史を伝える墓

木センダン花フイリソシンカ北谷町の木・花

北谷町のなりたち

北谷町(ちやたんちょう)は、沖縄県中部地方の町です。1920年(大正9年)の時点ですでに北谷村として今とほぼ同じ区域があり、それから一度も合併をしていない、県内でもめずらしい町です。

1920年の郡
中頭郡
11920年の町村の数
0回合併・編入の回数
14km²今の面積

「北谷町」という名前

「北谷」の古い呼び方は「きたたん」です。1577年の琉球国王の辞令書に「きたたんおきて」という役人の呼び名が見えます。1649年の正保国絵図でも、北谷間切に「キタタンマギリ」と読みが添えられています。この「きたたん」が「きちゃたん」「ちちゃたん」を経て、「ちゃたん」へ変化したとされています。もとの「きたたん」の語源ははっきりしていません。

まちの成り立ち

北谷町の前身は北谷間切です。1908年4月1日の沖縄県及び島嶼町村制施行で、中頭郡北谷村となりました。北谷・伝道・玉代勢・桑江・伊礼・平安山・浜川・砂辺・野国・野里・屋良・嘉手納の各集落は字となりました。戦前は農業が営まれ、北谷・玉代勢・伝道の三つの集落にまたがる水田が知られていました。

1945年の沖縄戦で米軍の上陸地点となり、村の土地は飛行場や兵舎へ変わりました。戦後、嘉手納飛行場内の通行が禁じられると、村域は南北に分断されました。住民の往来と行政運営への支障から、1948年12月4日に北谷村の一部が分かれて嘉手納村が発足しました。

1972年5月15日の日本復帰後は、道路整備や海岸の埋め立て、宅地開発が進みました。1980年4月1日に北谷村が町制を施行し、北谷町となりました。その後はハンビー飛行場などの返還地と埋立地を利用し、西海岸に商業施設や宿泊施設が集まりました。キャンプ桑江の北側返還地でも役場周辺の整備が進み、海辺の観光地と住宅地が並ぶ今のまちが形づくられました。

年表

  1. 1908年4月1日明治41年沖縄県及び島嶼町村制の施行により、中頭郡北谷村が発足した。種類:町村制 出典:www.pref.okinawa.jp
  2. 1948年12月4日昭和23年中頭郡北谷村の一部が分離し、嘉手納村が発足した。種類:分割 出典:www.pref.okinawa.jp
  3. 1972年5月15日昭和47年沖縄の日本復帰に伴い、中頭郡北谷村の施政権が日本へ移った。種類:その他 出典:www.archives.pref.okinawa.jp
  4. 1980年4月1日昭和55年中頭郡北谷村が町制を施行し、北谷町となった。種類:町制施行 出典:www.pref.okinawa.jp

名前の歩み

帯は、それぞれの町村が続いた期間(1889年〜今)です。

北谷村→北谷町1908〜今

参考にした資料